計画と無計画の間 三島邦弘 河出書房社 2011 パート2

201
熱量を下げることに対し、きわめて無感覚な人たちを。
●自分もそうなってしまうときがあるし、そういうことを無自覚にやってしまう人もいる。
202
最優先すべきは、どれだけ面白いか、どれだけ熱くなれるか、どれだけ夢中になれるか、そういうことだろう
●指導要領でも指導書の指導計画でもなく、どれだけ面白いか、どれだけ熱くなれるか、どれだけ夢中になれるか、そういうことだろう?
218
けれど檻の中にいるのも、檻の外に抜けるのも、
本当は自由なんだよ。
思考という野生の力は
自分を檻の中に閉じ込めることもできれば、
そこに山や木々をつくって、
高所、低所、自由自在にいろんなところから
広い世界を見渡すこともできるんだ。
●檻を作るのは自分、箱を作るのは自分
223
ものづくりの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ
●教室も然り
246
長年いたから感覚の範囲が広がったわけではない。もちろん、ある程度は、ただいるだけで身につく、あるいは磨かれることもある。だが、漠然と受動的ににそこにいるだけでは、その土地が身体化されるほどに感覚は磨かれない。その土地とそこで過ごす日々とを愛し、その愛に基づく形で能動的に行動し、不必要といえば不必要な動きさえもすることで、磨かれ、身体化されていくものだろう。その結果、気づけば感覚が働くようになっている。
●無計画ゾーン(フロンティア)にただ身を浸すだけでも価値はある。そして、そこで逆流に硬直せずに、みずから動けるようになると、流され、立ち返り、身体化していく。身体化しないと直感がはたらかない。日常子どもの前にたっているときにどれだけ計画に基づいたことができているだろうか。身体化を目指さないと、日常的な活用にまで届かない。それまでには、多くの無意味なことが絶対に必要。
249
「計画と無計画のあいだ」を揺れ動いているとき、人は初めて自由を感じうる。そして揺れ動く二つの間隔が広ければ広いほど、自由度は高い。
●自由度が高いと不安になる。自由度が高いとわくわくする。自由度が高いとうまく行かないと悲しくなる。自由度が高いとうまくいくととってもうれしい。自由度が高いと感情が動く。
249
間違いなく、それ(数字では絶対に測りえない無計画線をのばしてやること)は世界の広がりをもたらすし、きっとそれだけが本質的な意味での世界の広がりをもたらす。
●数字には説得力があるが、熱量は時として失せる。感覚的な気づきは鈍る。無計画領域のものやことに、名前を付けてあげるようにして世界を広げていく。

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