学級経営・特別活動 教師力向上セミナー in 横浜2012 直後

杉田調査官という方のお話を聞いた
この方は学習というものの本質をしっかりとみすえながら
建前ではなく本物の学習というものを考えている
それは特別活動という枠組みを使って語っているが
それは伝えやすい媒体を通しているだけであって
杉田さんの伝えたいことを伝えることに
特別活動はあってもなくてもどっちでもいい
子どもが自分で立ち上がり子どもが自分で達成するまでに
とことんこだわる人、
まさに自分(たち)そして仲間。
子どもが必要と思っていないものを与えても本質的な意味でそれは学習ではない
学習とは学ぶ人が真剣になること本気になることそれを習得しようと全精力を傾けること
それが本当の学びであって
それ以外はおつきあいの学び
意味がない
学びという行動はその性質上、絶対に本気になってしまうものなのだと思う
それが長い時間であろうと短い時間であろうと
学び取ることに本気になってしまう
それが学習がもつ特質であり
学びを定義する上での必要条件になるだろう
学びは長い時間が必要であるということを前提において物事を語っている
その通りだ
時間のかからない学びは本質的とはいいがたい
学びは完結したときにそこで終わりを迎えてしまう
人間は本能的に学び代という欲求を備えた生き物なので
学びを達成したいという欲求と
学びを完結させたくないという欲求をないまぜにもち
マスタリーの方向へと自らを進めていく
問いと考えのサイクルを繰り返し
自らをサイクルの中で研磨させることで
エネルギーに満ちた言葉を得て(言葉にエネルギーを帯びさせることができるようになり)
その言葉を超越したオーラをまとうことができるようになる
学ぶという最大のエンターテインメントを
わたしたち大人がそのような潤沢な学びを体感し、歓喜し、胸をふるわせていることを
どうして子どもに伝えてやらないのか、体感させてやらないのか
身勝手すぎる
このすばらしい経験をどうして未来を背負う子どもたちに体感させてやれていないのだろうか
学び生きる喜びはこんなにも躍動的で喜ばしいということを
子どもたちに教えてやらなければならない
それは教師という肩書きを持った人間にとっての責務だ
現在の学校はどうだろうか
今の自分のクラスの子どもたちはどうだろうか
子どもたちがまだ感じたことのない学ぶために生きているという肌がぞくぞくする感覚を
自分の中から思考が溢れ出すフローの感覚を
味わえているのだろうか
心の底から学びを求め、それをどうしても欲してしまうよな感覚を
伝えられているのだろうか
子どもにゆだねるということはどういうことか
本当の意味でどういうことか
内実はいくらでも語れる
しがらみをあげればきりがない
ただそのような言葉は誰も欲していない
自分には何ができるのか
与えられた環境をどこまで利用できるのか
与えられた環境をどこまで壊すことができるのか
協同し、学習し、創造することに飢えているこどもを育てる
自分がそういう状態だから自分にはやれる
そういう状態にない人は
どこかのだれかが作ったそのへんの何かをやればいい
そういう状態から脱したい人は
学びに飢えている人と一緒に考えればいい
やれることが溢れ出してきてまずい
http://kibounokai.net/
http://homepage3.nifty.com./gensekihp/koujyou.html
http://web.me.com/kitami104/The_World_of_Kitami104/YSRS.html

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