綴方を読んで考えたことを言葉にしてみる

『戦後作文・生活綴り方教育論争』
『発想転換による105時間作文指導の計画化』
大内善一著
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class09/seikatutsudurikata.htm
http://www.wako.ac.jp/human/kiyo/file/kiyo3-05.pdf
綴り方教育についての本を読んで
やっぱり頭がぐちゃぐちゃになるのが自分らしいなあと思う
戦前
教科書なんて広く普及していなかった時代に
自分たちが書いたものを題材にして自分たちで書くことを高め合っていく教育があった
それはそうだよね
印刷技術だってまだ身近にないだろうし
子どもたちは生活の中から題材を選び出し
作文用紙に向き合っていった
つまり題材は「自分」ということだ
自分を書くということは自分を内省していくということだと思う
だから自分を書いてそれを友だちに読んでもらうということは
自分をどんどん開いて友だちに見せていくということにもつながるだろう
自分を開いて自分の生活を見せる、自分の考え方を見せる
友だちから意見をもらって生活自体を見直すことにもなるだろうし
自分の考え方を見せることによって道徳的な話合いにもなるかもしれない
もちろん子どもたちは自分にとってみせられる自分を書くことになると思うのだが
それでも自分に突っ込んでいかないと作文への気持ちも技術も目覚ましい伸びはないだろう
だから危険でもある
全く書けない、反対に自分を開きすぎる、友だちがプライベートに突っ込みすぎる、
だからこそ教師の指導が必要になってくる
書くことの指導以外に
そういう心の面にも指導が入る
生活の仕方や考え方にも指導が入る
教師の視点も国語の書く技術の指導と同時に
生活の仕方への助言、考え方への助言、道徳的なことへの価値観への助言
そういう方へ教師の指導も傾いていくかもしれない
おそらく
それが綴方教育への批判へとつながっていくのだと思う
それって国語?っていう批判
まあもっともな批判
自分にとっては国語とか道徳とかそういうものあんまり垣根なく考えていきたい所だけど
社会の中で教室という場を与えられている以上、全く無視することもできないと思う
書く技術を身につけさせる指導 と 書くの場を洗練させる指導・自ら書く指導(なんと表現したらよいかわからない)
いっつも結論は分かっているのだけれど
自分なりのスタンスを常に振り返るしかない
特に自分の場合
場ばかりに偏重してしまう傾向があるから
場を維持しながらどうやって技術を子どもが習得できるようにしていくかを考えていかなければならない
この前
友だちが国語は技術教科だといい
もう一人の友だちが総合だと言っていた
ああまたこの論争だと思った
自分のスタンスはどうする?
まずは創作が多くなってしまう現状を打破する必要がある
やっぱこれじゃあだめだ
これでものすごく力を発揮する子どももたしかにいる
4年生でこれを書くか!という感じの子も出てくるんだけど
でも書くけれど趣味で書いているというか
趣味で書いていいんだけれど
趣味に始まり趣味に終わるというか
まったく自分自身への描写がない(内省がない)創作に不信感がある
作品全体が自己を投影しているといえばそうだが
そんな言語化されていない行間の行間から出てくるよくわからない物を
教師の主観を交えて指導するということが曖昧すぎて不安になる
自分が子どもの作品を読み込めていないのかなあ。
それもあるかもしれないけれど、一つ一つの作品にそんなに自己満足的にこだわっていると
子どもの足かせになってしまう
だから
自分を主人公にした生活文(随筆)を帯にして
子どもの書きたいことを選び取る力と、教師が指導できる場の中間地点を探る
(創作は指導しづらい、というか自分はこう思うとしか言えない、まあそれでも是とする考え方もあるけれど、自分はそれに賛成とは言えない)
(逆もある。調べたことを書いてきた子に対して、過剰に指導しすぎてしまうこともある。これも反省)
読書をこれだけやっている以上
子どもたちの創作への意欲をもう止めることはできない
だから
創作のユニットをもうけてそこで時間を区切って行う
それで生活を主軸に扱うのであれば
もっときちんと子ども書いている過程で教師が見てあげないと人権的な面で問題がでることもあるだろうから
(自分に対しても、相手に対しても、ただ過剰に指導すると人間味のない文章でおもしろくなくなるだろうなあ)
ちゃんとやれる仕組みを作らないとだめということになる
そういうミニレッスンもいれていかないといけない
子どもより経験のある教師が安全な場所をしっかり確保してあげて(しかもできるだけ広く、できるだけ安全に)
その中で子どもたちが指導を生かした自己選択、自己決定して表現できる場を教室の中につくっていくということだろう
ああ
書いていて自分がよくわかっていないのがよくわかるし
難しいのもよくわかる
でもチャレンジしたくてしたくてしょうがないんです

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