人を見捨てない国、スウェーデン (岩波ジュニア新書)

 北欧の教育や社会を紹介されている本を読むと、やはり、日本が目指している幸福への価値観と北欧のそれとは、根本的にちがうという印象をもちます。オランダのイエナプランなどの本を読んでもそう思います。北欧諸国は、国民のみんなが幸せに暮らすためにはどのようにすればよいのかを、一人ひとりが真剣に考えているように感じます。例えば、女性の働く環境、男性の家庭への貢献意識、そして、いきいきと生活を楽しむ老人たち。わたしは昨年オランダに行き、人々の生活を垣間見ましたが、静かな社会の中にも、一人ひとりの余裕のような気配を感じます。あいさつ、気配りを多くもらいました。車椅子の老人たちが楽しむのを多く見ました。多くの人が幸せをシェアしあっている雰囲気が伝わりました。
 けれども、日本はどうでしょうか。この三瓶さんが冒頭で述べている「大学受験のない国」という言葉で表現していますが、やはり、日本の社会はどこかで、常に子どもに競争を求めている社会を押し付けているように思います。そして、競争に順従に参加をし、目上の人の言うことを正しく聞くような姿勢が美徳だという感覚を、無意図的に教え込んでいるように思うのです。スウェーデンの根底に流れる「自立と価値観の共有」とは、かなり方向性がちがいます。たしかに、スウェーデンは気候や移民問題などで、そのような価値観を持たざるを得なかったということはあるでしょうが、今の日本は変化の時のまっただ中にいるにもかかわらず、変化をしようとしなくてよいのでしょうか。
 アレックス・カーの「犬と鬼」で指摘する日本の群像を思い出させます。日本はいつまでも幼くありたい、自立よりも「純朴な隷従」のような無意識の働きがあるように感じますが、スウェーデンの実例を読むと、子どもはその発達段階に応じての確かな自立を目指しています。高福祉で高税率ばかりの印象だったが、それは結果そのようになっただけで、本質は、北欧特有の幸福の価値観こそが、このような社会を作り上げているような気がします。
 「あなたは今幸せですか」という質問を日本とスウェーデンとでした場合、その幸せ捉えている具体的なイメージは、おそらく相当にちがうような気がします。スウェーデンはより具体的にイメージできていいるように感じます。けれども、日本の子どもたちの具体的な幸せのイメージは、より抽象的で、自分の今の生活と何が適合していて、何が乖離しているのかが、分からないのではないでしょうか。スウェーデンの幸福のイメージほうが、自分の生活の中から幸せを具体的にイメージしているのに対し、日本は、自分の生活にはない抽象的なイメージを、夢見ているように感じます。その実態のない夢に向かって、子どもたちは前の人の背中しか見ないで、ひたすらに走っているように見えます。日本の子どもたちは幸せな大人のモデルを見失っているのかもしれません。
 この本を読むことで、スウェーデンの社会を知るのと同時に、日本の社会の課題を見せつけられているようです。

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