『受けてみたフィンランドの教育』の教育観

ランディング・ワークショップで先生も書いています

ライティング・ワークショップで2月に1度ほど出版をしています。今回も自分が書いたものを載せました。

今回は時間もあまり確保できず、出版の声掛けも今一つだったので、ネタはあるのに時間がないという状態になってしまい、子どもたちも大変だったかと思います。

やっぱり、1にも2にも、時間を確保することが、どんなことにも大切なわけですね。指導法とかタイミングとか、考えるべきことはたくさんありますが、一番大切なことは、どれだけ時間をかけて、どれだけ継続するかに限ると思っています。

今回も、書いたものを載せました。

 

『受けてみたフィンランドの教育』

 今、実際にフィンランドに留学に行った日本人の学生が、フィンランドの教育について教えてくれる本を読んでいます。(『受けてみたフィンランドの教育』、実川真由・実川元子、文藝春秋、2007年)

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 わたしの場合、大体の本は図書館のホームページで予約をして、それが図書館に届いたら取りに行って読むことが多いのですが、今回の本は、たまたま図書館の本棚をぶらぶらしていたら、目に飛び込んできた本でした。その本は、やはりいろいろなことを教えてくれると同時に、わたしたちの教室のこれからも考えさせてくれます。

adege / Pixabay

フィンランドって?

 まず、フィンランドという国は、どんな国なのでしょうか。フィンランドは、スウェーデンやロシアと隣接する、ヨーロッパの北の国です。わたしが夏に行ったオランダよりも、さらに北に位置します。フィンランドで有名なものといえば、なんといってもムーミンです。ムーミンの世界を思い浮かべれば、フィンランドがどれだけ雪深く、自然が険しいところかわかると思います。また、ノキアという携帯電話メーカーも有名です。私も昔、かっこいいノキアの携帯を好んで使っていたことがありました。

 そして、最近になってフィンランドをさらに有名にしたことがありました。それは、世界で一番学力が高い(2003年)と言われていることです。さて、フィンランドの子どもたちは、どれだけ勉強をしているのでしょうか。

Free-Photos / Pixabay

フィンランドの子どもたちはどれだけ勉強をしているの?

 本を読んでみたところ、日本のように塾にたくさん行っているわけではないようです。宿題はありますが、放課後はアイスホッケーのようなスポーツをしている子どもが多いようです。また、学校に入るために厳しいテストがあるわけでもないようです。私がその本を読んでみて、印象に残った点を紹介したいと思います

 

    「勉強する」という言葉と「読む」という言葉はおなじ言葉

 フィンランドにもテストはやっぱりあるそうです。でも、日本のように穴埋め式問題を埋めるような知識を問うような問題はないそう。では、どのようなテストかというと、日本で言う小論文のような問題のようです。

 本の中で出てきた課題は、人間の体についてのテストで、「あなたが耳について知っていることを文章で書きなさい」というようなもの。つまり、たくさん書いているのです。

 さらにおもしろいなと思ったことは、テストの前になると、子どもたちは「テストがあるからたくさん読まなきゃ」や、「今日は来週のために読むぞ」というように言うそうです。つまり、日本で言う「勉強する」という意味の言葉は、すべて「読む」という言葉に含まれています。

 フィンランドでは、「読む」ということ=「学ぶ」ということなのです。学校では、教科書以上に本を読みます。「ごみ」について学ぶということは、「ごみ」の本を読んで、先生や友達と話をするということなのです。「骨と筋肉」について学ぶとは、「骨と筋肉」について本を読んで、先生や友達と話をすることなのです。

 家で本を読んで、教室で本を読んで考えたことを、小さなグループで友達と話し合います。読んで考えたことを交換したり、ときには意見をぶつけあうこともあるでしょう。

 日本の一般的な教室では、先生から教えてもらって学ぶことが多いかもしれません。教えてもらって、できているかできていないか穴埋めテストをする。一方で、フィンランドはたくさん読んで、穴埋め知識ではなく考えたことを文章にする。さて、フィンランドと日本ではどんな違いがでてくるでしょうか。

jackmac34 / Pixabay

 

    いろいろな人がいるということが当然だから、外国語を学ぶ

 フィンランドは、石油がたくさん取れるというわけでもなく、冬が厳しいために農作物がたくさんとれるというわけでもありません。なので、フィンランドの人たちが幸せに生きていくためには、他の国とも仲良くしていかなければならず、どんな人ともコミュニケーションをとる必要がありました。

しかも、日本のように海に囲まれているわけではないので、いろいろな言葉を話す人が日常的に近くにいました。教室の中にもフィンランド語が通じない友達もいるわけです。最近の北ヨーロッパは、仕事を求めていろいろな地域から人が来るために、フィンランド語を話さない人も多くなってきました。そこで、フィンランドは、母国語のフィンランド語の他に、スウェーデン語や英語を学びます。

言葉が通じないとすれ違いが多くなりけんかになってしまうこともあります。いろいろな文化を持つ人がいるからこそ、相手を受け入れるために、外国語を学んでいるのです。

 フィンランド語と英語は、日本語と中国語ぐらいちがい(?)ますが、テレビをつけるとフィンランド語に翻訳されていない英語のアニメがそのまま流れ、子どもたちはゲームも英語のままで遊んでいるようです。なんとなく英語が分かってきたという感じのようです。英語が日常生活の中に溶け込んでいるようです。

 日本は、とても親切な国なので、誰かが必ず日本語にしてくれます。そして、カタカナ英語という便利な道具もあります。日本で英語を学ぶというと、「お勉強」という感じですが、フィンランドならば、好きなアニメを見ていたらなんとなく分かった、大好きなゲームをやるために英語を読んでみようという感じです。なにより、英語を学ぶともっとたくさん友達が増えるのです。

 学校でも英語を学びますが、興味のある英語の本を読んだり、英語で好きなことを書いたりすること大切にしているようです。日本の英語の学び方とはだいぶちがいます。

Finmiki / Pixabay

 

    分からないからもう一年同じ学年をすることは恥ずかしいことではない

 フィンランドは、小学生でも、学習が分かっていないと次の学年に上がることはできません。日本の感覚だと厳しいように感じますが、そうとも言い切れません。

 つまり、分からない子どもは学校がちゃんと時間をかけてサポートするということだと思います。1・2・3年生の算数が分からなければ、4年生の算数が分かるわけはありません。まだ算数が分かっていない子どもを次の学年にあげてしまうと、その子どもは分からないまま学校を卒業してしまうことになる。そうではなくて、学校が時間をかけてサポートするよということです。

 そして、それ以上に大切なことは、同じ学年をもう一度するということが、まったく恥ずかしいことではないのです。小学生でも、クラスの何人も同じ学年にとどまっている子がいます。むしろ、同じ学年に留まることを願っているのは、子ども自身なのです。

フィンランドの子どもは、「学校は学ぶところだから、学べないで卒業してしまうのはおかしい」と考えています。だから、堂々ともう一度同じ学年を希望するのです。フィンランドの子どもたちが恥ずかしいと思うことは、「分からないことを分からないまま、そのままにする」ことなのです。日本の子どもたちはどうでしょうか。

bearinthenorth / Pixabay

 フィンランドの考え方

 やはり、日本とフィンランドでは、やり方がちがう以上に、考え方がちがうという感想をもちました。今まさに学んでいるわたしたちは、フィンランドの考え方から何を学ばなければならないのでしょうか。ちがう文化の学校の話を読むと、今の自分の学び方や将来のめざす姿について、たくさんの考えるチャンスを得ることができます。

 これを読んでくださったあなたは、何を学んでいますか?どうやって学んでいますか?何のために学んでいますか?ぜひとも、与えられるばかりではなく、自分で考えてみてください。

 

 

 日本にいて外国の話を聞くと、他の国がうらやましく思うこともありますが、立場を変えて、フィンランドに行って日本といろいろな所を比べると、日本の良さがたくさん分かるものです。わたしはそれを、去年と今年のオランダで思いました。日本もとても良い国です。みなさんも、機会を作って旅に出て、そこから自分や日本について考えると、いろいろな新しい見方ができておもしろいです。ぜひとも、経験してほしいものです。

 
 

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コメント

  1. 吉沢郁生 より:

     初めて書き込みします。吉沢郁生と申します。兵庫県の私立の中学•高校一貫校で英語の教員をしています。
    「フィンランドの子どもは、『学校は学ぶところだから、学べないで卒業してしまうのはおかしい』と考えています。」のところを読んで、「ああ、違うんだよなあ」と自分の勤務している学校のことを考えてしまいます。私の勤務校は中学•高校ですし、私立なので入学試験で選抜された生徒が入ってくる学校です。ですから、私の感想は日本の学校一般というわけではなく、あくまで私の勤める学校、私の受け持っている生徒たちについてものです。
    まず、「学校は学ぶところだから」ということが違っています。建前では「学校は勉強するところだ」とか「僕も勉強しなくちゃ」と言いますが、現実を俯瞰的に眺めてみると、生徒たちは「学校は昼間同年代の仲間と(快適に)過ごすところだ」というふうに思っています。快適に過ごすために最も大事なものは自分のプライドです。そして、年下の人と一緒に勉強するのはプライドが傷つくのです。恥ずかしいことなのです。そのような生徒の意識を、教師の側も利用していると思います。「留年したら恥ずかしいぞ。だからしっかり勉強しなさい」と。こうして、生徒たちは勉強が嫌いになっていく。私自身、このようなシステムの中にいて、いったいどうしたらいいのだろう、と右往左往しています。

  2. 冨田明広 より:

     ありがとうございます。このブログを読んでくださる方がいて、お返事をいただけたことに、とても感激しています。
     フィンランドの生徒たちは、本当に恥ずかしいと思わないのかなあと、もう一度問い直すチャンスをもらえたなあと思いました。やっぱり、進級できないと残念に思うと思います。
     おそらく、フィンランドの学生は、自分の中に占める学校の割合が、日本のそれよりも少ないのかもしれません。僕も、例えばスイミングスクールで進級できなくても、がっかりするとは思いますが、絶望とは思いません。自分の中にいろいろなファクター(例えば、家族、ボランティア、習い事、友達、アルバイト)があれば、冷静で自分のための判断ができるのかもしれません。もしも、学校しか自分の生活する場がなければ、失意のどん底になるのかもしれません。
     自立という言葉を使っていいのか分かりませんが、自分のために学校や学習ステージを選択できること、他者におもねらないで、自分の選択を大切にし、他者の選択を尊重できること、それがフィンランドのよさなのかなあと思いました。

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