教師が発問をして
子どもがそれについて思考をして
たくさん手が挙がって
良い授業ができる

そんな授業はなかなか難しいですけれど
そういう授業を目指しているという感じでもないのです

理想論かもしれませんが
教師が問いを発している限り
それは学習としては子どものものになっていないと思うのです

子どもが何をやったらよいか分からない
子どもが何を学んだらよいか分からない
そう言われてしまうので
なかなかうまく表現できないのですが

やりたいことが見つけられる
学びたいことが見つかる
それが幸せをデザインする教室なんじゃないかなあと思います

だから
今の段階で例え未熟でも
それでも子どもがやりたいことを見つけられたらよい学習だし
すごいレベルの高い思考をしていても
それがやらされていて
教師が離れてしまったら誰もやらない、学ばない
そんな学習は一見素晴らしい学習でも
あまり価値がないんじゃないかと思います

だから
一人の子どもが問いを発し
その子がその問に対して追求できる教室
問いを発する段階にない子どもなら
友達の問に乗ってみる自分で判断する
または自分の問いを見つけられるまで時間がかかっても委ねる

どうしても教室全体の子どもというよりは
子ども一人ひとりに応じてどうしたらいいかと考えたくなります

やっぱりカウンセリングのような考え方になってしまいます

いくらカウンセラーが解決方法を出したって
相談者が自分のプロセスで問や解を出していかないと
一過性のものであればいいかもしれませんが

今学習していることが
自分の責任のもとに自分のものになっているかどうか
それがわたしにとっての良い学習だと思います

先生と一緒ならできる
友達と一緒ならできる
一人でもできる
この一人でもできるという部分を教室の中に保証したいんです

たとえば
読書会

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