楽しさとは、自分で決断できる喜び 「奇跡のレッスン」

 先週、再放送していた「奇跡のレッスン」という番組を見ました。

 海外の一流のコーチがやってきて、1週間だけ子どもたちの指導をするという番組です。子どもたちが見違えるように上手になりますが、それ以上に、子どもたちの表情や親御さんの子どもを見る目が変わってくるのが、番組の中でよくわかります。そういう演出ということもありますが、それでも見る価値があると思います。

 僕は自分自身も自分の娘も、スポーツクラブに所属してガッツリ練習に明け暮れるという経験をしたことがありません。自分の子どもの頃から、なんとなく、自分の自由がなくなるのが嫌だったのだと思います。スポーツは大好きで、プレーするのは何でも好きなのですが、鬼コーチがビシバシ指導したり、怖い先輩に挨拶をしなくてはいけないみたいな、そういう環境は本当に好きではありませんでした。
 自分の勤務先のグラウンドでは、野球少年が白球を追う姿が見られるのですが、コーチの怒号が響くこともあります。自分が子どもの頃、ああいうのを避けていただけに、かわいそうになあと思ってしまうこともしばしばです。
 一方で、ああいう環境でしっかり耐え忍び、さらに自分の技術を磨いていけば、確かに、精神力や忍耐力もつくのかもしれません。まあ、僕はああいうのを避けて通ってきただけに、僕のようにヘラヘラとした人間になってしまうのかもしれませんが。

 僕がこの番組で一番印象に残った言葉はこれです。
「楽しさとは、自分で決断できる喜び」

 サッカーのコーチも、テニスのコーチも、最初は子どもをよく観察します。自分の経験や自分の提供できる手法と照らし合わせ、子どもたちの個性、強みや課題に対して、どのようなコーチングがあるのかを、じっくりと探っていきます。
 そして、子どもたちを夢中にしていきます。ポジティブなフィードバックを中心に、子どもたちがスポーツをして楽しいという状況にしていきます。しかし、子どもたちは自ら気づいていきます、自分の課題に。
 コーチが指示した練習をただこなしているだけでは、子どもたちは考えません。ゆっくり振り返る時間、予想外の練習方法、コーチのカンファランスなどで、子どもたち自身が思考することを促していきます。
 その練習の目的はなにか、自分の目標はなにか、自分の目指す選手はだれか、自分が今すべきことはなにか。コーチのカンファランスは投げ掛けが多く、子どもたちの思考を促します。そして、それをポジティブに受け止めます。コーチは世界的に活躍するコーチなので、子どもたちがこちらの意図してたこととは違うことをいうこともあるでしょう。けれど、それを指摘したりしません。その思考を後押ししていきます。
 選手一人一人は、自分のプレーや練習に対して責任をもっていきます。「鉄の心」というように表現されていましたが、それは、苦しい練習に耐えるという意味よりも、自分に克つこと、自分に責任をもつことを、大切にされています。
 厳しさももちろん備えています。けれど、厳しさは、楽しさや責任感の土台の上に、エッセンスとして加えられている。耐久力をつけるトレーニングで、厳しい練習を課せられる場面もあるのですが、子どもたちはその練習の意味を理解しているし、夢中になってやっている。

 日本のスポーツコーチの世界では、このようなことはどこまで大切にされているのでしょうか。
 番組の日本の監督は、テニスでもサッカーでも、目からうろこが剥がれ落ちます。スパーコーチは親へも積極的なサジェスチョンを行います。そして、親の意識を変えていきます。子どもの回りにいる大人の価値観へアプローチしていくのです。

 コーチとは何でしょうか。ダメな子ども、サボる子ども、受け身な子どもを指摘するのは簡単な事です。でも、それは、自分自身の子どもを捉える目の、未成熟さや高慢さを露呈するようなもの。自分自身の心を整理し、価値観や学習観、他者とのか変わり方を洗練していかなければなりません。
 さて、私達教師がやらなければならないこと、変わらなければならないこと、大切にしていきたいことはなんでしょうか。

 こういうコーチなら、自分の娘も預けてみたいです。もちろん、本人がやりたければの話ですが。

http://togetter.com/li/731541
http://www.nhk.or.jp/bs-blog/100/200397.html
http://www.nhk.or.jp/bs-blog/800/215889.html

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。