すべての創りだした意味は、鏡の中の自分 「風神雷神はなぜ笑っているのか」

「風神雷神はなぜ笑っているのか (対話による鑑賞完全講座)」

次回の「大人のブッククラブ」の本は、「風神雷神はなぜ笑っているのか (対話による鑑賞完全講座)」です。僕は読むのが遅いので、厚い本ですから早めに取り掛かろうと思って、今週から読み始めました。

まだ、最初の最初しか読んでいませんが、のっけから、いろいろ思いをふくらませることができています。

「意味を作り出す」
僕はこの言葉と「リーディングワークショップ」で出会いましたが、本だけではなく、もっといろいろな場面で応用していかなければならないようです。

本や作者の解釈、本を研究した学者の解釈の中に、味わうべき本の価値や意味があるのではなく、読者自身と本との関係の中から築かれる相互作用の中に、本の価値や意味が生まれる。つまり、読者自身が本の意味を作り出すことによって、初めて本の価値は生まれる。みたいな感じです。

それは、絵でも同じことが言えますね。「モナリザ」の絵を、「〇〇という時代背景で描かれた」とか、「〇〇という心象をモチーフに」とか、「レオナルド・ダ・ビンチは手記に〇〇と記している」的なことから、絵を楽しむという方法もありだと思いますが、「耳」で鑑賞しているようでは、絵を見るという行為の本当の楽しさが感じられないのではないか、ということです。絵を鑑賞して、自分自身が感じたこと、自分の目で発見したこと、自分の中から沸き起こってきた感情を大切にする。それは、偉い先生の講釈や作家自身の解釈よりも、絵と絵を見る人の相互作用で生まれた意味に、もっとも価値がある、ということだと思います。

本の中で、岡倉天心のことばが紹介されています。
「もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。」
そう、結局のところ、本を楽しむということも、絵を見るということも、本や絵と自分自身を重ねあわせ、創りだした意味というのは、まさに自分自身を見るようなものなのですね。

おそろしいことに、本や絵以外でも、同じようなことが言えてしまうと思っています。
例えば、自分と学校、自分と子ども、自分と社会。その相互作用の中に自分自身を見るということは、「〇〇が悪いんだー」と言いたくなりますが、結局はそれも、自分自身との相互作用の中で生まれている揺るがない事象なんだろうなあと思います。言い換えれば、自分が変われば、学校・子ども・社会との関係から生まれた事象も変わるということなのでしょう。

結局は、すべての創りだした意味は、鏡の中の自分なのかもしれません。

今まで、本の解釈については、「読書家の時間」を通して考えてきましたが、この本を読むことで、「鑑賞」を通して、「幸せのデザイン」を、聞き慣れた言葉ではない言葉で考えられると思っています。

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