ブラジルから見た日本と、日本から見たブラジル。

ここマナウスに来ても、やっぱりいつもどおりに近い生活をしている。
確かに外は暑い。太陽は日本よりも強く、閃光が黄色い感じがする。
けれど、美しいホテルのビュッフェで日本食を食べ、今も少し回転音のうるさいエアコンの下で、wifiにPCを接続させている。
気になることもある。
まず、路面がでこぼこしていて、車の移動が嫌になる。ある人が、路面に凹凸がないのは、日本の技術力だと言っていた。細部にこそ、技術の成果が出るが、けれど、舗装された道が縦横無尽に都市に巡らされ、移動ができる。
渋滞もあるが、日本の高速道路の事故渋滞のように、少しも動かずに1時間がすぎるということはない。
あとは、英語は得意ではないということ。自分もさして話せるわけではないが、コミュニケーションに困ると、英語を出してしまうところに、自分の愚かさを感じる。
昨日は日本に関係する学校を2校見学した。やはり、教師という仕事が血肉になっているからか、今までのどこよりも、血がたぎるのを感じてしまった。教育という仕事に反応する体になっているようだ。
 全日制日本語バイリンガル校「デジャウマ・ダ・クーニャ・バチスタ」は、母国語であるポルトガル語と、日本語の2つを使って授業を行っている。 僕が見に行った授業では、日本語の授業で「すきな食べ物」について、ひらがなで表したり、みんなで声を合わせて「わたしはやさいがすきです。」と反復練習をしていた。 おどろくことに、算数の時間では、5・6年生がかけざんの九九を日本語で覚えている。おそらく、九九で覚えるという文化は日本独自のものであろう。ポルトガル語では当然履修が終わっている内容であるが、日本語でもう一度学習することで、日本語の習得と算数の復習にもなるらしい。 おどろくことは、日本語で学ぶほうが難しそうだが、そのほうが学習内容への関心が高くなることもあるそうだ。 5・6年生の理科の授業では、日本語の「こたい」「えきたい」「きたい」などの言葉を使って、授業が行われていた。日本語と理科の授業が一体になっている。子どもたちも、基本的なひらがなの習得はできているようで、ひらがなを間違えている子は見られなかった。 日本語を学ぶ意味。もちろん、ブラジルに日本企業が進出し、就職先として有望であることは大きい。ブラジルは不況で、就職不安がある。日本語ができて、日本企業に就職するという生き方を希望している。
けれど、それ以上に感じたのは、日本の道徳観へのあこがれだ。5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)のような、美意識。努力や勤勉さ、相手を敬う心、規律。古きよき日本の心をリスペクトしている。日本語を学ぶということは、同時に日本の心を学ぶということだ。言葉の中に織り込まれた日本の精神を学校全体で感じている。日本語ができるという以上に、日本の心を学んでいるのだ。 もちろん、日系人が作った憧憬もあるだろう。実際の日本はどうなのかということも頭をよぎる。けれど、自分たちの目指すべき社会を日本の文化の中に求め、それを学校全体で実現しようとしている熱意を感じた。日本の教育が、フィンランドやオランダの中に理想を求めることに近いだろう。けれど、もっと、心のなかに踏み込んだ、点数や目には見えづらいものを、このブラジルのバイリンガル校はつかもうとしている。一時の潮流ではなく、どっしりと腹を決めて行っているところに、僕は恐縮した。
子どもたちはよく規律を守っている。不規則発言もほぼない。ノートには整然と筆記練習の跡が残る。けれど、休み時間や自由時間には、子供らしい笑顔があった。子どもたちも、日本文化に憧れを持ち、ここで学んでいることは事実だろう。明るく手を振る子どもたち、すれ違うたびに「こんにちは」と少しアクセントに違和感のある挨拶をしてくれるところが、とてもかわいい。日本で「HELLO」とこんなにも積極的に挨拶できるだろうか。ここの子どもたちは、本当に日本文化を大切にしているのだと思う。

2校目の学校は、前の学校より日本の教室に近い学校だった。josephina de mello校。JICAの現職教員ボランティアの方が務めている。
 こちらの学校は、まさに普通の学校。ちょっと手のかかる子どもが先生の目の前に机があったり、忘れ物をしてしまった子が隣の子に見せてもらっていたりしている。日本にある普通の教室を思い返す。
 人数は少なくて、20人くらいか。
 先生も自然体で、子どもたちの会話を楽しんだりする様子がある。子どもたちのリラックスしているというか、もちろん、だらけている子もいる。
 そこの先生たちとの対話に、日本で足りない面を感じた。そこの学校は1年生から9年生までクラス替えはないらしい。そこで僕は、人間関係で立ち行かなくなるクラスはないのかと聞いたところ、「ない」という。
 つまり、大切にしていることは、「クラスは家族」ということ。人間関係が悪くなってもそれは乗り越えていける。家族だから。クラスは感情と愛情を大切にしている。クラスの子どもたちを受け入れ、厳しくも優しく、関係を重ねていく。
 僕は、日本が2年に1回から、最近では毎年、クラス替えをするということに、気恥ずかしささえ覚えた。日本の学校はクラスは家族ではない。違う人間なのだから、気持ちはすれ違ったり、対立したりして当然。それを内包する前に、ぱっぱとクラス替えをして、体面を整えていこうとする日本のシステムは、ブラジルの先生を前にして堂々と語ることはできなかった。
 子どもたちは、やっぱり素直で明るく、笑顔。みんな「こんにちわー」とアクセントが「に」に来るが、みんな人懐っこくこちらに興味を示してくれる。サッカーをしたり、カードゲームをしたりして遊ぶ子どもたちは、とても安心感がある。普通で日常の光景だった。

 仲間の先生と話したことは、ブラジルの子どもたちには「自己有用感がある」ということだ。関わりを持った5年生は自分の夢を屈託なく語るし、自分の夢を表す絵も堂々と書いた。恥ずかしそうにする子もいるが、風貌も言葉もちがう異国から来た来訪者と、けん玉をしたり、柔道をしたりして遊んだ。
 ブラジルでは、自分の家族を褒める。「うちの自慢の妻で…」とか「うちのかわいい子どもが…」とか、言葉の端々に、自分の家族を誇りに思う気持ちが表れてくる。また、ベージョやハグ、キス、握手など、スキンシップも多い。家族の関係を大切にしている。
 さて日本は。よく知っているからか、ついつい日本のアラ探しをしてしまう。
 ブラジル人は日本の良い面をみて、学ぼうとしている。わたしたちは、日本の悪い面ばかりを見て悲観するのではなく、ブラジルの良い面と日本の良い面を合わせて、新しい文化を創造し、日本とブラジルに還元していかなければならない。


 

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