リーディング・ワークショップは評価できなからやらない!?

 昨日、岩瀬さんのリーディング・ワークショップ関連の話を聞いてきました。SLiiiCという学校司書さんが多く集まるグループに参加し、学校の中で読書をもっと盛り上げていくためにはどうしたらよいかをみんなで考えました。
 岩瀬さんの読書に関する実践は、もうかれこれ10年前から聞いていました。あのときは、「なんてぶっとんだ実践なんだろう」と、本当に驚きましたが、昨日は自然体で「そうだよなー」と聞けた自分を見つけました。あれから、もう10年経っているということに気づいたことが、一番の収穫かもしれません。
 岩瀬さんの学習観は、すべてコミュニティを作るというところに帰着します。読書だけでなく、作文も、算数も、遊びも、行事も。一人ひとりがゆるやかに結びつき、個人の時間を保証しながら、それをコミュニティに還元できる学習環境を作ります。
 今回は、その読書の部分をクローズアップして、お話いただいたのですが、手法はどうあれ、根底にあるものは、コミュニティを作るというところに集約されるのではないでしょうか。
 規律や賞罰ではなく、個人を大切にしたり、自然に伝播していくイメージを大切にしたりすることで、コミュニティは徐々に成熟していきます。安心して力を発揮できる環境が教室の中にできあがります。
 「子どもの力を引き出す」というよりかは、「コミュニティを作れば、子どもの力は自ずとのびていく」と言う感じ。教師は、伸縮するコミュニティという風船をよく観察し、たまに手を添えて、大風に堪えられるようにしたり、棘を避けたりする感じ。教師が、風船の中に、息を吹きこんで無理やり上昇させるようなことはしません。割れますから。
 僕は昨日のお話から、そんなイメージを膨らませました。
 評価のための授業ではなく、子どもの成長のための授業をしよう!!
 バスの中で友達と話したことです。
 今、ちょうど成績処理の時期で、多くの先生たちが評価をまとめることに忙しくしていることだと思います。
 成績処理の材料にするために行う授業は、本当にダメな授業になりませんか?
 子どもも、評価されると思って不安が高くなり、そのプレッシャーに耐えうる子どもだけがパフォーマンスを上げてくる。先生にチェックされているという気持ちで、緊張する子はもちろん、反発をしてくる子もいる。クラスの中の学力差は開き、コミュニティとしては、弱くなっていってしまう。
 みかん箱のみかんの大きさをL・M・Sに分けるように、分類していって、名簿に3・2・1の数字を配列していく。結局は子どもたちをひとつの指標で分類していくことになります。僕もよくやってしまいます。
 たしかに、リーディング・ワークショップの授業は、子どもたちの読む力をL・M・Sに分類するのに適した授業ではありません。子どもたちは、バラバラの本を読んでいるし、僕の場合はノートさえ、ペアで書いていたりするので、どの子がLなのか、Mなのか、担任以外の人が見たら、全くわからないと思います。ペアやグループの対話が多いので、それにL・M・Sをつけようと言う気持ちにもなりません。
 けれど、リーディング・ワークショップの教室は、子どもたちの読書量が圧倒的に違うし、読書への気持ちの高まり方が全く違うものになります。
 そして、担任にはどの子がクラスの読書を引っ張る子で、どの子にはサポートが必要なのかは当然、分かります。日常の観察から当然分かります。
 それは、ある規準の上で言うと、この位置にいるからLである、Sであるという捉え方ではなく、エピソードで子どもを捉えたり、半年前のその子の姿との比較で捉えます。その1時間の結果で子どもを評価するということはありません。教師には、その子がどのような成長をしているのか、どのような成長を促せばいいのかは、継続的に見ることで分かるのです。

「評価は子どものためにある」という前提を大切にしたいですね。評価は、子どもの現在位置と次のステップに向上していくために、何をしたら良いかが分かるもの。ゴールに向かうために、視野の広い教師が一緒に作戦を立ててあげるもの。
 パリ・ダカールラリーのドライバーの横に座ってナビゲーションする人が評価のイメージにあるんだけれど、どうでしょうか。だから、教師も共に並走しているのかもなあ。

 気づいたらすごい脱線していました。

 

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