多文化共生って結局のところ

 今回分かったことは、多文化共生とか開発教育とか持続可能性教育って、結局のところ、「あなたはあなたとは違う相手に対してどうやって関わることができますか?」という問いに対して、精一杯答えていくことなんだと思う。

 こういう分野に対して、ダイバーシティやESDみたいにかっこよくてスマートな片仮名言葉を使って語られるから、何となく都会的でステキな感じがするけれど、実際は、泥臭くて、生々しくて、自分とは全く違う人の体温を間近で感じるようなリアルな現場がある。
 格好いい会議室で、パワーポイントでコーヒー飲みながらワークショップしていると、そういう具体を忘れてしまいそうになります。でも、ちゃんとそこに近づけていけるか。自分のためよりも相手のために、心を寄せていけるか、時間を使えるか、そこなんだと思います。
 やっぱり熱帯雨林の伐採のことを勉強しても牛肉は好きだし、多文化共生と声高に叫んでも近くの人ともギスギスしてしまうこともある。
 矛盾や葛藤を内包しつつも、そんな自分をある意味で受け入れていって、自分もできていない理想に向かって、汚くも美しい一歩を踏み出していく。そんな自分でありたい。
 自分は本当にそれができるのか、分かりません。きれいな会議室で、ワークショップやりたいだけなのかもしれません。
 でも、偏った世の中を、苦しんでいる人がいるならば、何か1cmでも解決に向かって動けばいい。みんながそう思っているときに、何かをきっかけに大きなうねりになって、世界が変わり始めるかもしれません。

 
 
 

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