「抱き癖」「オランダ式放置」vs「すぐ抱き」「モンテッソーリ抱き」

赤ちゃんが来週で2ヶ月を迎えようとしています。
新生児だった頃と比べると、顔つきもすっかりふくよかな赤ちゃん顔になり、むちっとした手足をバタバタさせています。0655の「げつげつたぬき団」を見ると、赤ちゃんみたいだと思います。
顔や首に出ていた赤ちゃん湿疹もお医者さんにもらった薬(保湿とステロイド系)で随分よくなりました。ステロイドはいろいろあると心配だったのですが、まあ結果いい調子です。

さて、1月ほど前に、ある人から「抱き癖は良くない」と言われて、「抱き癖?」と思っていました。どうも、泣いてからすぐに抱っこをすると、抱っこされたがって泣くから、それでは赤ちゃんのためにならない、ということらしいです。
それを聞いて、「オランダの育児」として紹介されていたエピソードを思い出しました。オランダでは、赤ちゃんと親は完全に別々の部屋で寝るらしく、泣いても完全に放置なのだそうです。自立を促す?抱き癖とつながります。
日本の育児関係の本を見ると、僕の見たものから言えば、泣いたら構ってOKというものが多いです。赤ちゃんと親が関係を結ぶときで、泣いたら親が来てくれるという関係から、信頼関係や生理的欲求・安全欲求が満たされていき、幼児期や児童期の挑戦する心やレジリエンスにつながっていくとする説です。イタリア発のモンテッソーリ教育も、泣いたら構うの説のようで、「抱き癖」や「オランダ」とは真逆の立場を取っています。

僕も小学校教育のなかで、自立的に学ぶ力を養うことには賛成の立場ですが、それは遊びや学びにおいてであって、赤ちゃんの愛着形成の段階から、過度に自立を促すようなかかわり方をすることには、何か違和感を感じます。
「自立主義」の方が、親が楽なのかな?それとも、両親がすぐに復職して働かないと経済的にも社会的にも成り立たない状況下で生まれざるをえなかった考え方なのか、ちょっとそれは予想でしかありませんが。
子どもから大人に成長する中で、その時期にたっぷりと経験しておかないと後からでは難しいってことがよくあります。「ごっこ遊び」とか「スクリブル」とか「頭足人」とかはその典型で、大人が勝手な都合でそれを矯正したり発達を促しすぎたりすることは良くないように思います。赤ちゃんが手を舐めることで、自分の手に気付くのと同じように、描画を通して、子どもは自分の手足の認知的な再発見をするのであって、それが済んだ大人が「ほら、手はこうでしょ!足はこうでしょ!」と言うのは、子どもの自ら成長する力を損ねているだけ。そういう子どもならではの絵や遊び、学びは、ゆっくりと浸らせてあげるのがいいように思っています。(じゃあ、学校の存在価値は?となると、もっと書きたくなるので、また機会があれば。)

【この本は良いこと言っていると思った本です】

泣いている赤ちゃんを見ると、10分ぐらいは様子を見ようとするものの、やっぱり構いに行ってしまう自分がいます。本能?かわいいから仕方ないです。でも、抱っこすると余計になくという現象があって、ステップ1は抱かれるために泣く、それが適うと、ステップ2はミルクをもらうために泣くというフェイズに移っていきます。やられた…と思う瞬間です。
それでも、だんだんと、夜もよく寝るようになって、笑顔とが少しずつ出るようになってきた赤ちゃんを見ると、赤ちゃんと「しっかりつきあっていく」ということでいいんだなあと思っています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。