『デジタル脳クライシス』から教育現場のAI活用を考える

AI

AIが教育にどのような影響をあたえるのか、考えています。

AIが作家の時間で絵本を作ったら
「小さな冒険家と不思議な森」 起 ある晴れた日、好奇心旺盛な女の子、あおいは、いつもの公園に飽きてしまい、冒険に出かけることにしました。家の裏にある、茂みで覆われた小道を進んでいくと、今まで見たことのない、不思議な森が見えてきました。木々は...

最近のニュースでは、デジタル機器の弊害から初等教育の段階ではタブレットなども使わないようにするスウェーデンの政策なども取り上げられています。

IT先進国スウェーデン、学校で「紙と鉛筆のアナログ教育」に戻る計画を発表 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
大規模なICT教育を進めてきたスウェーデンのソレントゥナ市が、紙と鉛筆での学習に戻すことを発表しました。賛否が分かれたこの決定から、教育とデジタルの関係を紐解き、再考します。

反対に我が校を含めて、デジタル機器を使おうとする動きが私たちの学校にはあります。今や、毎日の体調の管理や心の状態まで、タブレットで報告するようになってしまいました。世紀末っぽくて危険な匂いがしています。

『デジタル脳クライシス』から

デジタル脳クライシス――AI時代をどう生きるか (朝日新書)

 

ネガティブ・ケイパビリティって大切

もやもや感です。これを抱き続けるって辛いのですが、でも、ポジティブに考えると、問題意識を持ち続けられるということでもあります。AIに簡単に解答らしきものをもらってしまうと、もやもや感が納得感に変わってしまうこともあるでしょう。長い間問題意識を一旦棚上げしておいて(無意識下に置く)、「醸す」ことができたら、その人の思考や生活に根差した深い探究になるように思います。

 

検索依存は思考力を低下させるのか?

すぐに検索する。これについては、単純に間違っているとも言えないかなと思います。言葉の意味や単純に知識であれば、すぐに検索して次の思考に重心を置くことは、僕は賛成です。ただ、子どもたちの調べ学習を見ていると、検索で終わっていることもあり、活動の中心が検索になってしまっていることも多くあります。

僕の『社会科ワークショップ』では、「ドキリポイント」(心が動いた事実)よりも、「ズバリポイント」(相手に伝えたい主張)を作ることを中心に置いていました。「ドキリポイント」は資料から調べる活動が多くなりますが、「ズバリポイント」は思考する活動になるので、子どもたちが検索だけで知的な充足感を得てしまうことを防ぐねらいがありました。

AI依存

検索依存は、これからはAI依存になるという筆者の主張は、僕も同じです。ウェアラブルデバイス(車載カメラの人間版みたいなもの)に外部記憶を委ねて、それをAIに解析させるような未来がだんだん近づいていますが、そんな状況で思考力、判断力、表現力をつけるというのは、まず無理です。AIの奴隷になりそう。

『スマホ脳』の批判

アンデシュ・ハンセン著の『スマホ脳』は僕も読みました。視界にスマホが入っているだけで、注意持続力が低下するなどの内容は、僕も注意しようと思うことがあります。

そこで、『スマホ脳』では、人間はマルチタスクが得意ではないので、シングルタスクで活動することを薦めているのですが、『デジタル脳クライシス』では、料理や掃除、車の運転など、シングルタスクの状況など一部で日常にはマルチタスクが溢れているからこそ、単線思考的なデジタルデバイスを離れて、マルチタスクな日常から思考を高めていくべきだという主張が展開されています。

チョムスキー

チョムスキーさんは、生成AIについてはとても懐疑的な立場をとっているようです。大規模言語モデルは統計的に次に来るとマッチする単語を次々に並べていくようなものですが、言葉の形容の仕方など、それほど単純ではないので、AIは言語を理解していないというような主張です。チョムスキーさんについては少し調べましたが、すごく奥深そうなので、この辺で終わりにします。

ノーム・チョムスキー - Wikipedia

手書きかキーボードか

例えば、授業の内容をノートにとる場合と、デバイスのキーボードでとる場合がありますが、どちらがより活用できる状態で頭に残るのでしょうか?

筆者の言うように、キーボードで授業記録を取ると、網羅的、逐語的になってしまいます。やっぱり入力が早いので、言葉が多くなりすぎてしまう。すると、手書きメモの時にはできていた、要約的な思考や、クリティカルな思考が、キーボード入力では落ちてしまうそうです。表面的な言葉に頼りすぎてしまい、思考が深まらないということなのでしょう。その分、手書きは一度にたくさんのことは書けない分、大切な言葉を選り抜いてメモし、その要約的な作業が、思考(解釈、構造化、創造など)を深めることにつながるそうです。

また、キーボードタイピングは、運動系の脳機能を使うことが多く、思考系の脳機能にリソースを振り向けることができるそうです。

ただ、運動系を使うことを否定するわけではなくて、手続的記憶(体が覚えている系記憶)もあるので、やはりペンは有効と言う結論になっています。

さらに、紙のどの部分に書いたなどの「位置」の情報や字形などの情報も、記憶を定着させる周辺の情報としてとても大切だそうです。ディスプレイの場合、位置は画面によって安定しませんし、字形は全て同じで、アナログな字の汚さとか興奮して書いた字のような、「雑味」が取り除かれてしまいます。これだと、記憶には残りづらくなることはなるほどです。

自分自身に振り返ると、僕は、キーボードと出会って、文章が書けるようになった側の人間なので、キーボードには感謝をしています。けれど、たしかに、キーボードで会議録を作っていると、会議の内容がまったく頭に入ってこないという現象は経験しています。思考するために書く場合、手書きの方が確かに思考が進みますね。これは、自分だけではないのだと思います。

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紙かディスプレイかも同じ

読むことについても、ペンとキーボードと同じ構造です。筆者は、紙の方がよいと結論づけています。

うちの娘は、進研ゼミのタブレット学習は、最初は取り憑かれたようにやっていましたが、結局長続きせず、やめてしまいました。紙であれば、「読み飛ばす」も「全体像を把握する」も「重要度を判断する」もしやすいですが、タブレットだとそれが捉えにくく、モチベーションの減退につながるように思います。進研ゼミで勉強するなら、僕は紙を方をやはりお薦めします(うちの子はどちらもやめてしまいましたが)

AIドリル導入に向けて

AIドリル。いいですよね。まる付け作業が少なくなると思うと、僕もいいと思います。親にとっても、整理整頓の必要がなくなるし、ドリルがぐちゃぐちゃにならずいつも綺麗で、精神衛生上もよさそうです。けれど、おそらく、子どもにとってあまり良くないように思います。

AIドリルの作り方に詳しいわけではありませんが、算数問題を選択式で答えて、もし間違っていたとしたら、子どもは「なぜ間違えたのか?」と思考するでしょうか? 僕は、そこで間違った理由を思考できるネガティブ・ケイパビリティを備えた子どもをAIドリルで身につけられる子どもは、少ないと思っています。クイズを解くように、楽しんでリズム良く正解・不正解を刻んでいくだけで、それが思考になるとは思えません。問題1問に載せられた価値観や人の思いは、ますます軽んじられていくでしょう。おそらくそれでは、子どもの思考力は育っていきません。

AIドリルは、教える側の都合と、経済的に利益のある業者と、保護者の負担の軽減にとっては大いに効果がありますが、子どもの思考は成長しないでしょう。僕はそう思います。(かと言って、人材不足や先生の過剰労働の問題もあるので、全く選択肢に入れないということも、できないように思います。)

GDJ / Pixabay

 

 

 

 

 

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