ワークショップは学力格差が増してしまうのか?

ワークショップ

「教育格差」松岡亮二 を読んで

「教育格差」という本を読みました。僕自身は、ワークショップの魅力を伝える側に立つことが多いので、どうしても個別化のような平等よりも自由を重んじる教育観に立ってしまいます。平等と自由は決して二項対立ではないですが、自分の実践を見つめる視点としては欠かせないように思います。

差は大きくなるワークショップだが…。

さて、ワークショップは学力格差が増してしまうのでしょうか?僕の感覚的な考えでは、一斉授業よりも学力格差は大きくなります。その子の学習スピードを尊重する場面の多く、探究が好きな子どもはどんどん先に進んでいくので、おそらく差は大きくなります。

けれど、ここで言う差とは、テストの平均点とか偏差値とか、そのような指数のことを言っているのでしょうか?

ワークショップは、テストの点数のような数直線状に子どもを並べて比較しやすいようにする手法ではないので、差が生じるという表現が適切であると言えません。どちらかというと、みんながそれぞれ(ある程度)進みたい方向を自分で選ぶことができるので、学習のベクトルは人それぞれ様々にあり、プロセスも全員同じステップを踏むわけではありません。A地点からA’地点に自分が成長したとしても、どのようなベクトルに自分が動いたのか、どのようなプロセスを経てその地点に動いたのかによっても、差の意味合いが違ってきます。

徒競走は差を測ることができても、砂場遊びは差を測りにくい。こんな感じです。

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その個人の固有の学習

整理された一斉授業は同じ学習目標に向かって、同じプロセスをたどって進んでいくために、学力差を教師がコントロールしやすいし、可視化もしやすい。けれど、ワークショップは教師は目標を意識しつつも、子どもの中にも個人の目標が存在し、学習フィールドの中で条件を満たすのであれば、どのような方向性のコンテンツでも選ぶことができます。

そのような中で、学力格差はたしかに増すかもしれません。けれど、いろいろに散らばり変化していく子どもたちの差を見ることは意味がないですし、そのような意図で学習を行っていません。

家庭環境や経済的な格差の影響を強く受ける

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けれど、注意しなければならないのは、家庭環境や経済的な格差の影響を受けているという点です。

良い体験を多く積んでいる子どもは魅力的な探究のテーマや書く題材、自分に合う本などをたくさん見つけることができるでしょうし、家庭からの支援も得られやすいでしょう。また、その子も、今までの経験から努力の価値や失敗にめげない忍耐力を備えているかもしれません。それが発露するのであれば、やはり、ワークショップは教育格差を広げる教育手法であるように思います。

ですから、差はあって当然のもの、むしろ、個人差を活かすことで多様性のある学習コミュニティが作り出されることが強みであるように思います。

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