第4章 概念型の授業における探究学習

思考する教室をつくる
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第4章 概念型の授業における探究学習

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「春探しをしよう」は、演繹的指導

演繹的指導と帰納的指導。「概念型の指導において用いられるのは帰納的指導である」ということです。

一般化された事象を先に提示し、それと関連する具体について学習することで、一般化を裏付けている手法が、演繹的指導です。これは確かに楽ですね。時間も早くて済む。これは色々なところでネタにしたものですが、生活科で「春を探そう」と単元名があり、先生も黒板の一番上に書きます。そして、子どもたちは公園の色々な場所から春を探してくる。これは、完全に演繹的指導です。「春」という概念をすでに教師が先に出してしまい、それに追いつくように子どもたちは春を探してくる。「春探し」という言葉は、完全に教師のためにある言葉です。

本当の生活科の導入は、きっと子どもにとっては目的的な思考はまだなく、本当に公園に遊びにいく程度かもしれません。もしくは、教師は緩やかに仕掛けを作っておいて「みんなに知らせたいニュースを見つけよう」とか伝えておいて、様子を見るのかもしれません。子どもたちは、桜の花びらや、たんぽぽの花をみつけて発表し、見つけたものに共通するコンテクストを「統合」し、「春」と名前をつけるのが、「春を探そう」という学習の意味なのだと思います。これが、帰納的指導ですね。

というわけで、概念的な指導は、帰納的指導であるということになります。

この具体を「統合」するという経験が、子どもたちの理解を深めるのでしょうね。ピアジェでいう形式的操作を、協働的に学ぶことで経験し、一人でも抽象的な思考を活用できるようになることが、理解ということだと思います。ただ、統合するには、関連する具体を2、3以上は見つける必要はあるでしょうし、その中でも例外が出てくるでしょうから、なかなか大人の都合では進みません。そのことで、「這い回る経験主義」なんて揶揄されることもありました。もしも這い回るぐらい探究できたら、たとえ目的は叶わなくとも、かなり学びは深まっているようにも思います。

Seasons Year Tree Nature Autumn - padrefilar / Pixabay

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だから、探究学習と概念型の指導は相性がよい

学習者が自発的に意味を見出していく学習である探究学習は、演繹的学習であり、概念型学習と自然に馴染むアプローチであるということです。

ここでは、探究学習を2つのタイプに分けて紹介しています

構造化された探究

いわゆるこれは「問題解決型学習」だと思います。問いや事実情報は教師が管理しています。それを元にして、子どもたちが教師の設定したフィールドで学習を深めていく手法です。

導かれた探究

これは、『社会科ワークショップ』のような、問いや事実情報はある程度子どもに委ねて、おおまかなトピックで学習のフィールドをつくるイメージの学習方法です。『読書家の時間』では、「ガイド読み」という手法があります。それと同じ構造の探究手法でしょう。

完全に自由では、カリキュラムが存在できなくなってしまいますし、スタンダードも達成できなくなってしまいます。かといって、100%教師の指導を聞いて学習していたのでは、帰納的学習から逃れられません。この「構造化された探究」や「導かれた探究」が、ちょうど良い塩梅ということになるのだと思います。

概念型学習の枠組みを活用して大雑把に言えば、『作家の時間』や『読書家の時間』は、学習のサイクルを活用して、プロセスから概念や一般化を図り、理解へと繋げていると説明できると思います。コンテンツ・ベースではなく、コンセプト・ベースというわけですね。

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2次元構造ではなく、3次元構造で捉え、演繹的指導に戻らないようにする

ここでまた、3次元構造で学習を捉える話に戻ります。

  • 知る(事実)
  • 理解する(概念)(一般化)
  • できるようになる(スキル)

学習構造が2次元構造に戻ってしまう原因は、事実やスキル(力)に終始してしまい、子どもが汎用可能な概念を習得できているかどうかまで、支援者が意識できていなかったことにあると思います。僕自身も「理解」という言葉が、事実に依存して癒着し、汎化できるところまで引き上げる意識は薄かったです。教師が学習の終末に行う「まとめ」的なものも、演繹的であれば、それは子どもたちのものになっておらず、探究学習を通して固有の文脈で「理解」することを前提とするならば、「まとめ」には意味がないことになってしまいます。時間はかかるかもしれませんが、スタンダードを網羅するという意識ではなく、要所を厳選し、理解まで深めていくイメージを持っています。

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他教科にまたがって行う学際的単元の場合

筆者は、例えば国語と社会のような、教科横断的な探究を行う場合、どうしても主要教科である教科に絞って考えてしまうことに警鐘をならしています。たとえば、社会の内容についつい集中してしまい、国語のようなプロセスの概念的理解のレベルが下がってしまうということです。「社会の内容はいいけど、表現の熟達がイマイチだよね」という現象だと思います。

僕の理解では、例えば、国語と社会をごちゃ混ぜにするのではなく、国語から社会へと、狙っている概念的な理解をできればシームレスに緩やかに繋げていくほうが望ましいと読み取っています。最初は国語で、偉人のテキストを使いながら独立的に「推測」というストラテジーを習得し、次に社会を使って、平等を実現した偉人たちの、信念や行動、リーダーシップについて理解を深めていくという手法です。もちろん、「推測」というストラテジーを社会の中で活用しています。

時間数が足りないから、国語と社会を合科でやっちゃおうと、安直に考えるなよ!というメッセージと受け取っています。私たちにとって大切なことは、時間を捻出するために、単元を精選しなければならないということではないでしょうか。

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