ピニャール移住地の太鼓の演奏と満天の星空を仰いで、しばらくこの2つを形容する言葉が見つからなかった。どんな言葉もこの2つ表すのには足りない感じがした。ピニャールの宿の芝生を眺めながらPCを開いたけれど、指が止まったままだった。
日系の流れを引く子どもたちが通う「コロニアピニャール 日本語学校」ここでは、和太鼓を通じて、日本語の習得を目指している。けれどそれ以上に、和太鼓のレベルの向上や大会で優勝して日本へ行くということを目標に、高い意識をもって練習に励んでいる。
最初の一打から、一瞬で心を掴まれた。
満点の星がきらめく夜、静かなピニャールの体育館に、大小10個以上の太鼓の連打が響き渡る。太鼓の野太い音や太鼓の縁を叩く乾いた音がものすごいスピードで体育館を揺さぶっていく。空気が一瞬で子どもたちの太鼓が作る空間に支配されたようだった。
豪雨が降り注ぐような轟音が連打されたかと思えば、しとしとと優しく土を癒やすような音がかなでられることもある。太鼓の音にこれほどの表情があるとは思わなかった。
それにもまして、子どもたちの楽しそうな表情。力を込めてバチを振るっているにもかかわらず、子どもたちがちゃんばらをして楽しむかのような、そんな無邪気な表情を浮かべながら太鼓を叩いている。作った笑顔というより、本当に太鼓を叩くことで心が解放されているような表情だと感じた。
演奏を終えて、子どもたちがステージから降り、わたしたちの方集まってきてくれた。ふてぶてしさが微塵もない。自分たちの太鼓を楽しんでもらえたか、そんな謙遜の気持ちすら伝わってくる。あれほどまでにすばらしい太鼓を聞かせてもらえたのに、自分たちの太鼓を聞いて「どうだ!」という高慢な気持ちがまったくなかった。
子どもたちの笑顔が本当に眩しくて、清々しかった。どの子も、曇りのない笑顔を浮かべて、自分たちを歓迎してくれている。ブラジルの他の学校もそうであったが、このピニャールの太鼓の子どもたちは、とても肝が座っていて、落ち着いている。部外者を前にしても、恥ずかしがるやざわめいた様子がまったくない。皆が背筋を正し、太鼓の演奏を終えた澄み切った心で、迎えられた。
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