ブラジルにも日本にも光と影がある。
僕はどんな場合においても、投票率は高いほうがよいと考えていた。でも、ブラジルの例からすると、どうもそうとも言えないらしい。
ブラジルの投票率は、日本と比較すると相当に高い。80%以上はかならずある。なぜかというと、選挙に行かなければ、いろいろな権利が受け取れなかったり、罰金が課せられる場合もあるそうだ。
そうなると、問題になってくるのが、選挙に関心のない(もしくは字が読めない、情報を解釈できない)が、選挙に関するプロモーションや良くないお金で、投票を操作してしまうということだ。
「茶色のシマウマ、世界を変える」という本で、フィリピンの事例で出てきたのは、貧困層が暮らす場所で、散髪プロモーションを展開し、髪を切ってあげるから「〇〇に投票して!」という選挙活動。明らかに、おかしい。
そして、ブラジルでも、お金を配って特定の人に投票を促す活動が実際にあるそうだ。選挙に関心が高いわけではなく、誰に投票したかも憶えていないし、よく分かっていないらしい。
民主主義で教育が大切にされている理由が本当によく分かる。市民の一人ひとりが、クリティカルシンキングをもって政治を判断し、選択していく力がないと、汚れたお金によって操作され、簡単に愚衆政治の状態になってしまう。クリティカンルシンキングをもった中産階級の成熟が、ブラジルでは求められているのだと思う。
さて、日本はどうか。
18歳選挙権がスタートし、高校の先生たちに、どうやって選挙についての指導をしているのかを聞いてみたところ、面白い答えが帰ってきた。
高校生たちに、「必ず選挙に行こう」という指導は出来ないらしい。そういうことを綿密に書かれた指導書のようなものが来たらしい。
だから、模擬選挙の授業をするにしても、みんなが投票をしなければならない授業はできないようで、例えば、休み時間に模擬選挙を行うから、空き教室に来てね。というふうに声をかける。もちろん、休み時間にやりたいことのある高校生ならば、模擬選挙には行かない。その高校では、相当に低かったようだ。(投票率一桁台?)
本当にそれでいいのだろうか。
ブラジルも日本も、似たり寄ったりである。
とにかく、自国の進むべき道を、能動的に選択していこうという力が両国とも弱い。ブラジルはどちらかと言うと判断力として弱い。そして、日本は判断力も弱いと思うが、何より自国の未来に関心がない。
なぜこうも、自分の意志の力を信じようとしないのだろう。自分の未来を自立的に創造していこうとしないのだろう。僕は、日本もブラジルも、教育の力で変えていかなければ、恐ろしいことになる可能性を十分に秘めていると考えている。
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