この本で阿部謹也さんがもっとも言いたいこと、というよりかは、自分がもっとも聞きたかったことは、「あとがき」の中の一つの文章に集約されます。
「私にとって歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することはできないからです。」
こういう高名な歴史学者が「私は理解することができない」とか言うと、学校で先生から歴史を教えてもらうぐらいでは、歴史を勉強したことにはならないんだろうなあと、面食らってしまいますが、本当は、阿部謹也さんは、もっと歴史を敷居を低く考えて、自分の延長として考えてほしいという願いなんじゃないかと思います。
たしかに、学校で歴史をある程度勉強してくると、そのうち、「覚えなければならない単語」とか「年号」とか、「大切な資料」とか、気がつくと効率よくテストで点を取る勉強の仕方になってきてしまっている自分がいました。
最初は、縄文・弥生のような、昔の人の立場に立って考えることが楽しい時代ならば、狩り、米作りなんて、自分をその時代のイメージのなかに放り込んで、想像の世界で楽しむことができていました。でも、そのうち、中大兄皇子・中臣鎌足の大化の改新とか言われて、僕の記憶では初めて「テストに出るから歴史単語を覚える」という作業をしたように思います。そこからは、あれよあれよという間に、歴史は「よむ」という学習から、「覚える」という学習に、少しずつシフトしていって、現代に近づくに従って、「よむ」ことよりも「覚える」ことの方がどんどん先行していってしまう。そんなイメージです。
自分も、中学校の時、とりあえずよく分かっていなくても歴史用語さえ覚えていれば、入試もテストもクリアって感じで、歴史を「よむ」なんて、まったく遠くのどっかに行ってしまいました。
「歴史をよむ」って、具体的にはどんなことなんでしょうか。P109ページに考えるヒントがありそうです。
「私は一人の人間が他の人間を理解する、解るとはどういうことなのかをずっと考えてきました。そしてだれかを理解するということは、その人のなかに自分と共通な何か基本的なものを発見することからはじまるのだと考えるにいたったのです。」
阿部謹也さんは、この本で、中世ヨーロッパの差別について、深く迫っていくのですが、僕が勝手に予想するに、阿部謹也さんも自分の心のなかにも共通する差別意識を見つけていて、中世ヨーロッパの差別を調査し研究していくのと同時に、自分自身の心のなかも探求していっているのではないかなと思うのです。
それが『自分のなかに歴史をよむ』ということなのかなと。
歴史は、やっぱり人の心を読む答えのない学習なのだと思います。それは、後世にまで名を連ねる人の心であったり、名前もない民草の心であったり、そういうものを心を寄せて考えるのが楽しさ何だと思います。心を寄せて考えるためには、当時のその人が喜んだり迷ったり苦しんだりしていたことをよく知る必要があるし、どんな生活をしていたのかを調べる必要があるのかもしれない。そうすると、すこしずつ見えてくるその人の輪郭が、その人の心に寄り添う手立てになるのかな。
その時代の人のなかに、自分との共通点があると、なんか嬉しいかもしれない。『平和が好き』とか『冒険したい』とか『憎い』とか『幸せになりたい』とか。すると、なんか自分の行動が少し代わったり、明日が少し明るくなったりするのかもしれない。歴史を「よむ」には、自分と繋がりある時間の流れを感じて、自分を少し変えてみようという願いが込められているように思いました。
そんな掴みどころのないぼんやりとした勉強をするより、見えやすいテストのための勉強のほうがやる気でるという人もたくさんいそう。歴史を「よんで」「であって」「さわって」「あじわって」「かんじて」「楽しんで」いられたら、それで良いように思います。
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