「ウェイティング・フォー・スーパーマン」
オンラインブッククラブで、このドキュメンタリー映画を紹介されました。
この映画に出てくるアメリカの教育は、散々なものです。目も当てられません。見ていて気持ちのいい映画ではありません。勉強にはなりますが、おすすめはできません。
劣悪な学校を脱したくとも、逃げ出せない
貧しい地域の子どもは、劣悪な学習環境の学校に登校せざるを得ません。そこから脱しようと、チャータースクールに入学させようとするドキュメンタリーです。
チャータースクールは、言ってみれば日本で言う研究校です。現地校ではなく、いろいろな種類の研究校が募集をしています。教育支援や基礎力向上に主眼を置いたチャータースクールも多くあるそうで、荒廃した現地校を望まない親はチャータースクールを希望するというわけです。
ところが、チャータースクールには、定員の何十倍もの希望者が殺到します。その狭き門を突破できた親子は涙を流して喜び、落選してしまった親子は、絶望的な未来を前に呆然と立ち尽くします。その選出方法は、くじ。完全に運なのです。
レモン教師とレモンダンス
さらにこのドキュメンタリーのショックな内容は、レモン教師です。学校の荒廃の原因の一つに、レモン教師を挙げています。
医師は57人に1人、弁護士は97人に1人、いろいろな理由で資格を失うそうですが、教師は2500人に1人。教師は教職員組合との契約で、非常に守られた職なのだそうです。それを利用して、レモン教師が学校から生産されていきます。レモン教師は、意欲も、知識も、技術も、何も持ち合わせていない教師で、給料が上がらないという理由で平然と授業をサボる教師です。
レモンダンスという言葉も出てきます。校長はレモン教師とにこやかにダンスをして、他の学校に異動してもらおうとします。なので、レモンがどんどんいろいろな学校にたらい回しにされていくのです。校長は送るレモンよりも送られてくるレモンのほうがマシなことを祈るだけなのだそうです。つまり、不適格な教員を解雇できないということが、一つの原因として説明されています。
ベストとワーストが隣り合わせの国、アメリカ
アメリカという国は、本当に玉石混交なのだと思います。
スラム街の子どもたちに魅力的な学習を行ったレイフ・エスキスのような素晴らしい教師がたくさんいる一方で、この映画に出てくるような同しようもない教師もたくさんいます。むしろ、日本よりもレモン教師はたくさんいるのではないでしょうか。
以前アメリカの現地校に転学していった保護者の方から聞いたところに依ると、とにかく、アメリカ現地校の教師は日本以上に玉石混交だそうで、良い教師に恵まれれば、子どもは楽しい1年間を送ることができますが、レモン教師に当たると授業すら受けられないという状態。そういう点では、日本のほうが平均的に良い教育が受けられるように思うと言っていました。
隣の芝は本当に青いか?
僕自身、海外の教育事情にアンテナを張っているので、アメリカの教育を理想的な教室と見てしまいがちですが、決してそうではないことを改めて突きつけられた気持ちです。
やっぱり、自分の目指す教室を具体的にイメージし、みんなで作っていくしかないと思います。教育制度が学校を良くするのではなく、教師が学校を良くするのです。教育の未来は、子どもに関わる大人、特に教師に委ねられていると言っても過言ではないでしょう。
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