きのうあおちゃんと話したことです。あおちゃんと話すと、いい話ができるのは、彼が引き出し上手で、僕は気持ちよく引き出されていきます。いつも感謝です。
沈黙で教室を覆う
子どもは空白を埋めたくなるそうです。多分大人もそうですが。(僕も余白のない男です)子ども向け雑誌の表紙に余白なくびっしりキャラクターが乗せられているのをご存知だと思います。コロコロコミックとか、少年ジャンプも。期待感を持たせるのと同時に、余白があると落ち着かない気持ちになるそうです。
それは、時間も一緒。子どもは、沈黙がそれほど好きではありません。大体の子は、沈黙があると、自分の思考を話し始めて、余白を埋めようとします。一部に、沈黙や余白を楽しめる子もいますが、それは一部の子です。
大人は子どもよりも余白が好き。(全部自分の行動や言葉で余白を埋めようとする大人もいますが)
だからあえて、子どもたちに余白を経験させることで、教師自身が場を作るという主張ができるように思います。
大きな声で場を支配しない
大きな声を出して、場を支配しようとする先生もいます。それも、時にはありです。安全のためなら、仕方がないこともあります。でも、幾度となく繰り返すと、子ども達の目がバッテンになります。
だから、この5月で僕が心がけているのは、少しずつ沈黙の時間を作るということです。
何かを話し始める前の10秒、意図的に沈黙を作る
朝の会の先生が話し始める前の10秒、子ども達の目を見ながら、話さずに待ちます。朝なので、お互い集中力もあります。だから、結構しんと静まった教室になるのではないでしょうか。
しばらく子ども達とこの沈黙を味わいます。静かにしましょうなんて言いません。みんなで沈黙を感じるのです。
不安を感じる子もいるかもしれません。それは、その不安としっかり向き合う時間になります。クールダウンになる子もいるかもしれません。自分と寄り添える時間を作ります。その教室を、教師は、沈黙で覆うのです。
子どもの心の中の自分(自我)や先生(超自我)と対話する
子どもの心が少し疲れているなと感じる時は、1日に何回か意図的にやります。意図びらきはしません。子ども達の心の中にいる先生や自分自身と対話させます。
話し始める時は、普通に話し始めます。今の沈黙なんだったんだろう?という感じがベストです。
時に晴れ渡った空気に、時に夕闇の影に
先生も疲れているので、その10秒間で心を整えます。子どもも先生も、お互いにとって、この10秒が大切なように思います。
教師は、ある時は晴れ渡った空気のように、そして、ある時は夕闇の影のように、教室での存在感をコントロールしていくのです。
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