マンモスハローキャンプの設計は子どもがいることを前提にして組まれていて、とても共感できます。
このキャンプイベントは、子連れでないと参加できません。しかも、早朝から富士山の麓まで来て、子どもを遊ばせたいという僕のような意識高い系の親でないと、やる気でないと思います。だからこそ、参加者のマナー意識も高い。よい意味で、ハードルの高いイベントです。
今年もあおちゃん親子が一緒に来てくれて、1つのパオで寝泊まりしました。
子どもが入ってきちゃうことが前提
マンモスハローキャンプには、ワークショップやステージイベント、そこら辺の小道で、何かおもしろいことをやっています。音楽、スポーツ、アート、子どもが思わず立ち止まって触りたくなってしまうものが、そこかしこでやっています。
子どもはおもしろいものを見ると、声を上げて仲間を呼びたくなります。そして、触りたくなります。そして、乗ります。
それをダメとするのでなく、最初からそれは起こることを想定されて、設計してあるように思います。
ミュージシャンの演奏中にギターを触っても、とりあえずは怒られません。(うちの子はもち触ってしまいます。)もちろん、ダメなときはダメと言われますが、触ってもいい時間がちゃんとある。英語で遊ぼうのエリックさんの持ち時間に、うちの子がしつこく話しかけても、ぎりぎりまでおしゃべりしてくれます。
少人数で、鼻先の距離で、パフォーマンスする
とにかく、パフォーマーとの距離が近いです。子どもは特に近くで見たり聞いたりできます。
BMXのワークショップもすごいテクニックを、柵もロープもない場所で1メートルぐらいの距離で見ることができます。 バンジョーをかき鳴らすおじさんやフィドル奏者のお父さんの弦に、鼻があたるんじゃないかの距離で聞いています。厚かましいうちの子だけじゃなくて、どの子にも近さは感動を与えます。
基本的に人口密度は少ないので、自分のためにやってくれるかのようです。目が合うなんて普通のこと。息遣いまで聞こえます。わからない時は、一流のパフォーマーに両手をとって教えてもらえる。うちの子がディアボロにハマったのもマンモスハロースクールがきっかけでした。
家族のように一緒に生活する感じ
キャンプイベントなので、一緒のキャンプ場で寝泊まりしています。プロレスラーの人が、座ってマスク被っていたり、お風呂にパフォーマーの人が入ってきたり、うちココだからウクレレ持って遊びにおいでーと言ってくれたり。みんな、近所の人みたいです。
昨年のマンモスパウワウでは、前夜祭から仲良くなったお兄さんが、実はピザ屋のお兄さんで、さらに夜はファイヤーダンスのすごいお兄さんだったことに気づき、うちの子はとても喜んでいました。名前まで覚えてもらって、親戚のように可愛がってもらったことも。
僕自身も毎年参加している(今年はなくて残念)アサラトのワークショップのDJのお兄さん達。去年は、この人覚えてるー久しぶりーと言ってもらえて、僕自身も子どもじゃないけど嬉しかった。
あのフェスのあの家族のような近さが、きっとそういう雰囲気を作っています。
学校ってこういう雰囲気を作れているかなあ
黒板は触っちゃいけません。
足をぴったり床につけましょう。背筋を伸ばしましょう。
手を組んで体育座りをしましょう
トランプは持って来てはいけません
学校の環境設定や制度設計って、当たり前のように受け入れているけれど、どこか子どもにとっても大人にとっても無理があって、その無理を強引に噛み合わせようと、我慢しあって注意しあって、やっと成り立っているようにも思えてしまいます。そして、軋んだ歯車の音を自然で当たり前の音として、捉えてしまっている。でも、それを当たり前ではなく、0から設計しようと頑張っている人たちもいる。
何か学べないかと思います。
Players-first
student-centered
ロジャーズの考え方が最も必要なのは、学校なんです。
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