見えている子どもは氷山の一角
この前の「もうひとつのワンダー」でも同じことを描いてしまいましたが、これも同じです。
自分の目の前にいる子どもの見えている部分は、海面から少し出ている氷山の一角に過ぎず、海中には私たちが見えていない子どもの本質の氷塊がある。見えている子どもの姿だけで、早急に判断することはできない。
この映画で改めて感じました。
教育に携わるすべての人に見て欲しい作品です。
ネタバレ少しありますので、注意
素の子ども
映画の中で、子どもたちが役者を離れて、素の子どもになって主演の高良健吾からインタビューをされる場面があるのですが、その部分の子どもたちの表情がすごく新鮮というか、かわいいというか。この映画にしかできない、演出なのだと思います。
その素の子どもの表情がすばらしいので、ちょっと他の場面の子どもたちに演出臭さを感じてしまうところも。でも、子役たちはすごくいいです。
子どもを叩いてしまうお母さん
育休取ってみて、より鮮明のこの感情が分かります。息詰まって、自分のフラストレーションを押さえられない感じ。どんな親だって、絶対に経験したことのある感情。そんなときに、自分のイライラのはけ口を、家族だったり、友達だったり、趣味だったり、そういうところに転化できればよいのでが、小さな子どもがいると、身軽に行動できなかったり、あのお母さんを誰しも完全否定できないような気がします。
すごくきれいな部屋に、きれいな服である一方で、叩いてしまうお母さんを救ってくれるのは、自分も虐待されていた経験のあるお母さん池脇千鶴。池脇千鶴の部屋は、物が多くて、雑然としていて、洗濯物も部屋に沢山干されていて、よくありそうな子育てしているお母さんの部屋。ベビーカーに沢山の荷物をぶら下げている。でも、笑顔が多くて、よく笑い、落ち着かない息子をよく愛していることが感じられる。その対比によって、なんとなく自分自身を照らし合わせてしまいます。
終わり方は、どうしよう。
終わり方は、ちょっとずるいです。
座ろうと思った椅子を、急に引かれてころんだ感じ。
他にも良い作品あります
野中真理子さんの作品は、チェックです。
もうこれはみんな見たかな。
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