先生たちは全てをコントロールしておきたいと思ってしまう はまちゃんレポート PART3

イエナプラン
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オランダ・イエナプラン教育専門教員養成研修の記録 ダイジェスト版

「ぼくが見たオランダという国とイエナプラン教育」

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先生たちは全てをコントロールしておきたいと思ってしまう

ハマちゃんが出会った先生が言った言葉。

本当はもっと子どもたちのことを信頼することなのよ。子どもたちはもっとできるはずだって。でも、多くの先生にとってはそれが難しいの。うーん…怖いのね。先生たちは全てをコントロールしておきたいと思ってしまう。だから、わたしたちがココ(イエナプランの立ち位置)にいくまでには、とても大きなステップが必要なの。でも、わたしたちはそのプロセスの中にいるのよ。

子どもを信頼することが怖いという感覚。僕にはよく分かります。

僕自身も学年ごとうまくいかなくなってしまうのを経験したことがあるし、子どもがカワイイだけの存在ではないことは、十分に承知しています。

自分が敷いた線路、自分が作った囲いから、子どもたちがこちらの静止も聞かずに飛び出していってしまう感覚は、「怖い」という言葉は遠くないと思います。そして、僕自身も。子どもや保護者が戸惑うのでは? 大風呂敷を広げて、後で取り返せなくなったら? 隣の先生との歩調は? これのせいで、あの行事の進捗に影響したら? 安全? 説明責任? 教科書? テスト? 全てをコントロールせざるを得ないという状況設定は、いくらでも思いつきます。

 

でも、この関係になってしまったのは、脱線させないように線路を敷こう、掌中に収めるために高い囲いを作ろうとした、教師への不信感の表れ。そもそも、最初に子どもを羊の群れのように扱わずに、一人ひとりの人間として向き合っていれば、不信感を抱かなかったはずなのでは? と、振り返ります。

そして、実は、脱線させないように線路、掌中に収めるために高い囲いを作ることが、当たり前の仕事、絶対的な方法、伝統的な規範だと思い込み、そこに考え直し、とらえ直しがないことにも、問題があるように思います。「コントロールすることは、子どものため」ということへのとらえ直しです。

 

このはまちゃんに助言をした先生は、「怖さ」を自分の中でも認めながらも、その根源的な感情を自覚的にとらえながら、「信頼」という意志の力を芽生えさせようとしています。そういう教師のマインドセットに、揺り動かされます。

 

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ファシリテーターではなく、エデュケーター

このファシリテーターという言葉には、いろいろな意味が込められているので、一概には言えないけれども、やっぱり教師は、教室のエコシステム=学習環境を維持していく上で、しっかりと行動していかなければならないということでは、はまちゃんに共感しています。

ファシリテーターという言葉が、教師の逃げの常套句として使われるのであれば、やっぱりちゃんと異議を唱えておかないといけない。

自分たちで解決することもあれば、先生の所に泣きながら歩いていくこともある。この場が成立しているのは、やはり教師がいるからだ。彼女たちがいるから、子どもたちはここが安心だと感じて遊びに没頭できる。

教師のもっとも大切な役割は、子どもを見ること。学習環境を作ること。そして、それを徐々に手渡していくこと。なのだと思います。

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