『「ついやってしまう」体験のつくりかた』『コンセプトのつくりかた』

大人のための読書記録

こちらの2つの本が、おもしろいです。任天堂のWiiの開発者である玉樹真一郎さんが、御自身の経験やゲームのノウハウをベースに、体験デザインや企画(コンセプトのつくりかた)について、教えてくれます。

体験デザインやコンセプトをベースにしているので、これらの本のつくりもとても面白いです。ただ、情報や知識を教授するのではなく、人が体験を通して変容していくプロセスを踏まえた本のつくり方になっていたり、実際のWiiのコンセプトワークに参加しているように語られていくので、ぐいぐい読んでしまいます。読書の体験的にも、他の本にはない読後感がありました。

既知の価値と未知の価値

コンセプトワークは、未知の価値に迫ることであることだそうです。既知の価値は、時間や財力などを投下して、既存のものを上回るものを開発しなければならず、資本力のある企業のゲームになってしまう。そうではなくて、未知の価値を発見することで、世界を良い方向に変える最初の一歩を踏み出す。それがコンセプトを作るということだそうです。

これを聞いて、「ああ、学習や授業も学校も、勇気を出して、未知の価値を語ろうとしなければならないなあ」と思います。

指導案ベースの研究授業では、「子どもの学習が本時目標にどれほど到達できたか」が多く議論されているように思います。「研究テーマ」が設定されることも多いですが、研究テーマのコンセプトが全体に共有されていなかったり、研究テーマが表す価値基準で議論することを前提とするため、授業の中から新しい価値を見出すことへ時間が割かれなかったりします。

元々、そういう文化の中から、学習について議論することが多い学校の中で、「未知の価値」を発見しようとするコンセプトワークは、全くと言っていいほど行われてきませんでした。競合他社がある一般企業では、独自性がないとお客さんに見てもらえないという厳しい現実がある一方で、学校は全国津々浦々、大体同じことをやっていることが存在意義であったためか、未知の価値をプレゼンテーションするのは、偉いところ(文部科学省や教育委員会)の仕事になってしまったように思います。学校によって子どもの実態は様々、その学校の中でも一人ひとりの実態は様々という中で、時折、上から降りてくる価値観は、ズレていたり、自分の学校には全く当てはならなかったりすることもありました。

おそらく、教育現場の中で、「未知の価値」をコンセプトとして具体化する仕事は、現場の仕事なのではないかと思います。教育委員会は、現場でどんなコンセプトワークが湧き上がっているのかをアセスメントして、あらゆるコンセプトを実現する働きかけをする場所なのかもしれません。多様性のあるクラスや学校を、根付かせていくこと。コンセプトを形作るのは、学校でなければなりません。

最後の最後の名言

世界を変えようとしているコンセプトワーカーには、世界に加えようとしている変化と同じだけの変化が、相応の抗力として加えられているのではないか? という仮説です。

『コンセプトのつくりかた』 P315

世界を変えようとする人には、その分、世界がその人を変えようとする抗力を受けるので、その人自身が変化していく存在になるということ。逆を言えば、「世界はそのままでいい」という人は、自分自身は変わらない。ベクトルを変えれば、自分自身を変えようとすれば、世界は自ずと変わっていくとも言えるかな。

変わるということは、決して良いことばかりではないです。知らなければよかったとか、始めなければよかったなんてことも、ありますよね。

でも、何かを変えたいと思う人の背中を、力強く後押ししてくれる言葉だと思いました。

 

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