『Writing Clubs』ブッククラブ 第3章・第4章を読み続けています。学年末で忙殺されていることもあり、ちょっと停滞してしまっていますが、これを書くことで振り返って、第5章へ読み進んでいこうと決意しています。
プロセスクラブというのは、作家のサイクルのそれぞれのプロセスにいる子どもたち同士が集まって、共有するクラブのようです。プロセス表に名札マグネットを貼って、自分のプロセスを可視化し、先生が時間を用意して数人で集まったり、または自然発生的にそれぞれのプロセスの子が集まって共有を始めたりするイメージを持っています。
コミュニティは自分で運営する
印象に残っていることに、先生が「今日の共有では〇〇について話しましょう!」などの具体的な指示を出さずに、「クラブであなたはどんな貢献ができる?」 「時間はどうやって用意する?」 「いつもの共有の時間とどんな違いがある?」 など、学習コミュニティを自分たちでつくっていくような問いを、教師がどんどん出していって、自分たちの時間は、自分たちで価値あるものにしていくという、自立的な学び手を育てるスタンスがとても感じられるという点です。
「自律的」と「自立的」
自律的と自立的とは、何が違うかという議論になりました。
僕は、自律的というのは、日本人的な「いい子ちゃん」のイメージがあります。先生のねらい(目的)を察して、子どもたちが勝手に動くイメージ。だから、どうしても先生や教科書みたいな「上」とされる存在が強くて、それに沿おうとします。僕は小学校段階では、こういう時期もちゃんと必要で、大切だと考えますが、それは一過程に過ぎないという認識はもった方がいいように思います。
自立的というのは、ねらい(目的)が学習者個人の中で位置付いていて、それに近づくために、子どもたちは行動します。先生は、子ども個人の中にあるねらい(目的)を聞いたり、アセスメントしたりしないと見えてきません。だから、自律的の時はねらいや目的は教師が握っていましたが、自立的の場合は、ねらいや目的を明らかにしないと、良い関わりができません。つまり、中心に立つのが、学習指導要領でもなく、カリキュラムでもなく、子ども自身の意志になってくるのではないでしょうか。自律を経て、もしくは、自律を超えて、自立になるように思います。
だから、自立的な子どもというのは、扱いづらいと思います。組織に従属しないし、ある意味で自分勝手だし、自分の行動は自分で決めると思っています。自分の心の底を覗くと、クラスの全員が「自立的な学習者」になったら、面白そうですが、結構大変なのではないかと思います。まとまらないし、不必要に相手とつながろうとも思わないでしょう。先生としては、目の上のタンコブのような存在ではないでしょうか。
でも、何か共通の目的が生まれた時の爆発力とか、そういうものは自律的チームの子と比べたら、雲泥の差かもしれません。自分で問いを立て、目的を設定できる子は、力を合わせた時に、「協力」というよりも「化学反応」と表すべき発想が生まれるのだと思います。
僕の頭の中には、勝手にグレタ・トゥーンベリさんのようなイメージが浮かんでいます。
メンターテキストの扱い
第4章のクラフトクラブで中心に出てくるのが、メンターテキストです。
メンターテキストとは、先生や子どもの目的に応じて用意された「テキストセット」のようなイメージです。例えば、僕らが目上の人に改まった手紙を書くときに、書き慣れない文章なので、ネットなどからお手本となる文章を2、3つ用意して、そこから「共通する要素は何か」「なぜその文章が良いのか」「自分なりにどんな要素を加えられるか」などを、考えると思います。メンターテキストとは、このお手本の文章のように、考える土台となる複数のテキストのことです。この本の作家の時間では、1グループに6冊の絵本セットが配られています。
教科書というと、もちろん使いようですが、間違いがないという刷り込みが生まれてしまいます。例えば、構文の仕方にしたって、表記にしたって、それ通りに書けば、間違いはない。つまり、教師(評価者、権威者)のねらい(どうやったら◯がもらえるか)が、透けて見える媒体になってしまいます。一方で、安定しているとも言えるでしょう。しかしそれでは、自律的止まりになってしまうかもしれません。
でも、もしメンターテキストを「自分で用意する」、「自分で決める」、「選択肢を出す」のであれば、たまたま出会ったテキストというだけであって、それ以上の物も確実にあるでしょうし、それは間違いの可能性もあるという中で、自分の学習を続けていくことになります。そんな曖昧な中でも、自分の目的を達成するために、学習を続けていくのであれば、不安定さを心の中に抱きながら、前に進むことでしょう。それが、僕には自立というイメージに近いものを感じています。
ここは議論もあると思うのですが、僕はメンターテキストは「つくる」「育てる」という要素が多分にあるように思っています。教師が集めて「つくる」、子どもが書いたものから「つくる」、メンターテキストセンターを「育てる」。教科書は人が育てたメンターテキストとも言えるでしょうが、あくまでそれは自分とは関係ない他者が作ったものなので、Agencyは生まれにくいでしょう。読書家の時間の実践家が、自分の得意な本セットがあるのと似ているような気がします。
年度末、本当に忙しくて、嫌な気持ちになっていましたが、これを書いたことで、第5章も勇気を持って読み進めたいと思います。自立的な学習者を、ちゃんと自分も目指さないとなあ。
以下メモ。
Chapter 3 Process Clubs: Using Clubs to Explore and Develop Process Skills
オーセンティックな学習を大切にしています。教科書国語は、やっぱりオーセンティックではない。算数の文脈でオーセンティックを語るのを読みましたが、算数はオーセンティックでないと誰もが気づきやすいので、こういう問題意識が生まれやすいですが、一見すると国語は算数と比べれば非常にオーセンティックであると感じてしまう。でも、実は全くオーセンティックでなくて、そこを国語科の中でもしっかり議論していく必要があると思います。
僕もこの実践はしたことがあります。作家の時間の最初に、今自分がどのプロセスにいるか、名札マグネットで示してプロセスを意識づけしました。
日本の指導案から考えた場合、本時目標に到達するために全ての時間が使われるという暗黙の了解があり、例えば書き手として成長できるなんて設定したら、「抽象的すぎる」と注意受けると思います。つまり、1時間のミクロの視点で目標設定されることが多く、(よくて単元目標ぐらいかな)高い視点で俯瞰的に子どもを育てる視点が持ちにくい(よくて指導要領任せ)。だから、このas writerの考え方が生まれにくいのではと思いました。
プロセスクラブ、同じプロセスにいる子で集まっているのかなあ?継続的なパートナーなのかな? どちらもあるように思います。 ←process skills (stamina, engagement, topic choice, reading like a writer) and through the writing process (rehearsal, draft, revise, edit, publish).のいずれかを選択した子たちのグループと捉えられると思います。
プロセス・クラブって、取材、ひたすら書く、リライトするだけでなく、習慣形成や協働などのストラテジーも入ってくるのかあ。なんか、取り扱う内容がかなり広いなあ。
「クラブ」という言葉が、どういう位置付けなのかが、まだぐちゃぐちゃです。ジャンルやテーマなどでユニットが独立している物とは別に、各ユニットを横断するような共有の視点を持つということとイメージが変わってきました。「クラブ=学習」ぐらいの抽象的な雰囲気かと。
さらっとすごいことを書いていてびっくりです。「書く」をこういうところまで含めて子どもに求めていくことに驚きました。
morning meeting? これを見ると、プロセスクラブは(もしくはこの教室の作家の時間は)、かなり自立的に運営されていて、授業時間の中の一つの活動として教師が指示しているのではなく、主体性を尊重されて動いているようにも読み取れました。こういうのができるのは、かなり作家の時間を自分自身の一部として捉えているのでしょうね。プロトコルを自分たちで調整していくところも。
なんか、本当は書くことよりも、仲間づくりの方を主眼に置いているようにも見えてきました。つまり、これはライティングを道具として使う、コミュニティづくりワークショップなんじゃないかなあ。
話が少しそれますが、このrevisitingとかを読むと、国語がとてもauthenticだなあと感じます。国語が学校臭くない。子どもたちの自己表現の場として、自己の成長の場として、世の中の「納税者たる」とか「経済合理性」とか、そういう他者に合わせた論理ではなく、indivisual たる学び手へ成長させている。 根っこが違うんだあと痛感しています。
私たちの学校はいわゆる「生意気な子」(適合しない子)を育てようとする気概はないですね。【そもそも、教員がindivisualでないので、蛙の子は蛙なのかも】
もう一度整理すると、先生の指示によって「では、プロセスクラブの時間です!プロセスのフィードバックしましょう!」などではなくて、「フィードバックを行う視点(習慣・協働・プロセス)がとても強調されていて、先生が設定する共有の時間やひたすら書く時間、または、休み時間や自然発生的な時間、そしてオンラインツールなどで、フィードバックの価値を理解した子どもたちが自主的・自治的に行っている」イメージで読んでいます。僕はこれまでどのような構成でフィードバックしているのかを探っていましたが、それがあまり出てこないので。
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Who will be in each club? Can they have some say in forming the clubs?
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What will the clubs do? Will they have set meeting times like in reading clubs, or can they get together whenever they feel they need to?
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Can they still meet with just their partner?
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How will writing time be different? Or, will it be mostly the same?
何度も書いてますけど、極論言えば、書くことを通じての「コミュニティづくりワークショップ」ですね。こういう質問は、私たちの教室では行われません。狙いや目的は、先生が決めるからです。
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We will have set times for clubs, but we are also happy to allow clubs to meet, if they feel the need, beyond that time. We will all have to keep an eye on stamina, remember our adage of “never a day without a line,” and keep up our writing. And yes, you can still meet with your partner outside of club time if you feel a one-to-one conference is best for you. Just let club members know.
やっぱり成熟したペア読書に近いなあ。成熟したペア読書は、勝手に二人でスケジュールを決めて、勝手に読んでくる。家と学校、勉強と余暇の垣根を超えている感じ。
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Naomi, Rishon, Jeremy, and Raoul, you are now a club. Jeremy and Raoul, Naomi and Rishon are looking for more mentors, so share some of your favorite texts from Knucklehead. Naomi and Rishon, although you love your Sandra Cisneros, and I am sure you will share your love of her writing and her writing techniques, we think you can also offer strategies for notebook writing and ways you keep your stamina going.
index cardって、どんなものを示しているのでしょうか? プリントのようなイメージで良いのでしょうか? 1枚目は「クラブに何をシェアできるか?」2枚目は「クラブから何を得たいか?」を子どもが書く。3枚目は、先生からのコメントで、それぞれのライティングクラブがどんな価値ある活動をしているかを明確にしていると読んでいます。しかし、先生の手間がだいぶかかっているでしょうね。
子どもたちの生まれや育ちを学習の題材に扱うことをタブー視する見方もあります。それはきっと、教師の強制力が強い日本の学校というのが前提にあるからかもしれません。こうやって、書く題材を自分で決められるのであれば、書きたい記憶を書くことができる。
Quaker Share 名前が面白い! でも、これは限定的で、パートナー共有の方を中心にやっているんだろうなあ。教師が良い情報を伝えさせるために、介入しているようだし。 Quakerは教師が観察するのが楽だけど、パートナーやプロセスクラブは、教師は努力して観察しなければならない。 教師の努力の力点が違ってくるんだと思います。
全体の中で行われていた作家の椅子が、プロセスクラブの中で各グループで行われているということですね。クラス全体のコミュニティ育成よりも、プロセスクラブのコミュニティ形成を重視している。
今気になったことが、「プロセスクラブ」という名称も、作品の共有ばかりに陥りがちな作家の時間へ警鐘を鳴らしていると捉えられるのではないでしょうか。
Chapter 4 Craft Clubs: Studying Mentor Texts Together
上が理解の助けになりました。ありがとうございました!!
4人のグループに対し、6セットのメンターテキストを準備しています。絵本などのセットですね。おそらく、先生はご自身の生活から、児童の作品から、ご自身が書いたものから、メンターテキストを収集しているんでしょうね。
クラフトクラブは、ミニレッスンの後、ひたすら書くの前
74ページまで来て、まだどうも、プロセスクラブとクラフトクラブの差がよく感じられていません。クラフトクラブは、自分の文章の自己評価をすること、メンターテキストを使うこと、がプロセスクラブにはなかった目新しいキーワードだと思っています。
ちょっとチャプターをもう一度確認したら、〇〇クラブがめちゃくちゃ出てきていて、これは、それぞれの差分を考える読み方は、間違いなんじゃないかと思ってきました・・・。
言い換えれば、「取材・選材」・「アウトライン」・「精選」・「記述」という感じかな。
子どもたちの自主性を発揮するために、教師に用意周到に準備していますよね。アセスメントクエスチョン、書き手の思考を促しています。
「さらに手を加える」のが最も大切なこと。どのジャンルにおいても、同じような教え方、言葉を使って、書くスキルを高めていくんだろうなあ。
まず、ひたすら書くにいく前に、先生がしっかり教えているんですよね。「教えている」というよりかは、伝えるべき事が明確にあって、それをグループでの共有や対話を生かして、気付けるように工夫している。メンターテキストは子どもたちが書いた作品の中から取り上げ、子どもたちの作品の価値をしっかり紹介するようにしている。「教科書をコミュニティの中から作り上げている」という感覚が、すごいです。
おそらく、それぞれのグループで作ったメンターテキストには、先生から手渡されたもの、そのグループの友達のもの、クラスの友達のもの、など、focusやstructureなどで分類されて、あるのではないかと想像しています。
これから、〇〇Clubがたくさん出てくるのですが、どのクラブも「何のために」「何を」「どうやって」共有するかの違いなのかなと思っています。
プロセスクラブ ・・・ 探究のサイクルを仲間とフィードバックしながら回すために
クラフトクラブ ・・・ focus structure elavorate word-choice など、メンターテキストを作りながら、自己評価やフィードバックする
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