この本で読めること
この本で読めることは、多様性の生々しくリアルなイギリスの現状。それを恐れることなくストレートな眼差しで入り込んでいく、筆者とその息子さんの話である。ノンフィクション。
ぼくの友達が、「これは近い将来の日本の姿だ」的なことを言って貸してくれたのだが、ぼくは正直、こういう日本の姿になることは、やっぱりちょっと恐れてしまう。
タイトルだけだと、人種的な多様性だけかと思っていたけれど、経済的な格差、EU離脱などの考えによる分断、宗教、LGBTQ、文化や風習、いろいろな多様性の切り口から、中学生とお母さんのイギリスでの日常を切り取っていく。
ぼくの認識も甘いのだが、人種的な問題も、イギリス人、日本人ぐらいのレベルではなく、〇〇人と〇〇人の子どもの友達とか、アイルランドとイングランドとか、ハーフなのかダブルなのか、日本人の外見で日本語は話さないとか、一言でまとめることはあまりに難しい。
僕の中のイギリス
イギリスって、そんな国なんだ。
あまりに勉強不足で、イメージが先行していた。
僕の中では、イギリスは教育先進国で、リーディング・ライティング・ワークショップ、図書館教育、ドラマスキルなど、華やかなイメージばかりが先行していた。友達もイギリスで勉強していたこともあり、牧歌的で、ピーターラビットが楽しそうに跳ねているイメージだ。
ところが、描かれているのは、「元底辺中学校」が舞台で、人種差別的な発言やいじめ、地域の経済格差が日常に転がっている。そういう日常を、作者の視点を通してしっかり描き、なおかつ、作者の実体験を通じた考えを押し付けがましくなく入れ込んでくるあたりが、事実と意見のバランスが良く、おもしろい。
最近ではBREXITの問題もあって、イギリスのイメージもキラキラしたものではなくなってきてはいたけれど、自分があまりにかけはなれたイメージをもっていたことがこの本から明らかになりました。
多様性は会議室で起きていない
ぼくはJICAのプログラムである教師海外研修に参加して、ブラジルに行ったことがある。
日本の教師が海外の教育機関やJICAが支援しているいろいろなプロジェクトを視察して、それを教材にして実践授業を行うことで、学校とJICAの連携を強化したり、他の先生達にJICAの活用の仕方をアピールしたりすることが目的だと思う。
そして、JICAの大きな目的である発展途上国の支援を、子どもたちにも広げることができるし、ぼくたちが開発教育的な授業を提案することによって、もっと多くの子どもたちが発展途上国の支援に関心を持つことができるかもしれない。
というわけで、ぼくは開発教育にもとても興味がある。ぼくが、マナティー研究所をやっているのも、そんな縁でスタートした。
その研修を通して、最も感じたことは、会議室の開発教育と、生々しくリアルな多様性の違いだ。
JICAでは本当にありがたいことに、たくさんの研修で学ぶことができた。ブラジルに精通した大学教授や国際経験豊かなボランティアが来て教えてくれたり、開発教育のプログラムを通じて体験的に学べる手法なども教わった。とても楽しかった。
けれど、実際にブラジルで見聞きしたこと(それでも、JICAの配慮により、ファベーラはもとより、一切の個人行動は許されなかった)や、日本に来る海外ルーツの子どもたちの生活実態などを見ると、会議室でかっこよく開発途上国のことを学んだり、空調の効いたオフィスで貿易ゲームをやったりすることとの、乖離、ギャップを感じてしまう。
多様性は、そんなにかっこよくない。
「多様性はうんざりするほど大変で、面倒くさい」けれど。
多様性という言葉に、ちょっと響きがかっこよく感じてしまう自分がいる。ダイバーシティなんていうと、もっとかっこいい。けれど、実際の多様性はどうだろうか。
本の中に、制服リサイクルバザーで黒人の女性とトラブルになるエピソードが書かれているのだが、こういう多様性をめぐる気苦労や行き違いが日常的にあるのが当然であることに気付かされた。
けれど、それでも、やっぱり多様性はみんなで目指していくゴールにふさわしいように思う。一律は支配されやすく、多様性は面倒だけれど、自立分散的だ。みんなが多様性について考え、それぞれの立場から多様性を尊重することができれば、それは良い社会であるように思う。
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