第5章 概念型教師の成長と自己評価
概念型教師への成長
いよいよ最終章です。
この章は、一般若手教師が概念型教師へと成長するタイムラインや、一般教師と概念型教師の授業観の違いなどに触れられています。
ガスキーによると、教師の変化というのは4つの段階があると示されています。
- 教員研修
- 授業での実践の変化
- 生徒の学びの変化
- 教師の態度と信念の変化
この本でも少し触れているとおり、3つ目の段階まで来ないと、教師は実感を持ってこのメソッドは素晴らしいという実感を持てないのだと思います。ワークショップについても、3まで来ないと先生方の理解を得られにくいです。
Differentiated Instructionについての言及
これは「個に応じた指導」とか「個別最適」とかの源流となっている考え方だと、僕は勝手に考えています。以前は、特別支援文脈で登場していた言葉でしたが、今や、教育全体で語られるようになりましたね。僕もこれについての英語の本で、ブログを書いていたことがあります。(今思うと、僕は個別最適の話をコロナ以前からしていたことになるので、自画自賛ですがすごいなあ。最先端じゃん。)
この本もあります。
生徒のニーズに応じて変えることのできる要素として挙げられているのは、
- 内容
- プロセス
- 成果物
- 感情/学習環境 (感情とはどういうことだろう?)
しかし、概念的理解については、上のどのような選択肢を取ったとしても、同じ概念的理解に行き着けるようにしなければならないということを強調しています。『社会科ワークショップ』でも、テーマの卵のどれを選択しても、ゴールに到達できるように設計されています。
これまでの僕の概念理解と、この本の概念理解の違い
ただ、『社会科ワークショップ』執筆時での概念理解について不足していたのは、その単元内で理解が収束してしまっている点にあると思います。例えば、「武士という概念が分かればいい」のようなことです。おそらく、僕を含めた多くの教師は、単元間を横断できる概念という理解の仕方をしていなくて、教師の悪い癖で、単元内でブツ切れの思考になってしまっています。この本を読んで強く印象に残っているのは、概念理解(一般化)を、他単元、他教科、問題解決にまで汎化させないと、結局それって「知識」の域を出ないということです。この頃から、僕自身も、カンファランスの際に、社会科で習得した概念を現代の時事問題に当てはめて考えたり、他教科でそれを応用したりすることができるまで、概念理解を深めていく視点をもつようにしています。
ただ、もっと言えば、カンファランス頼みの概念理解では、結局「先生に依るよね」という問題からは脱することができません。ここでしきりにカリキュラムについて言及するのは、「概念理解を学校全体で大切にしていきましょう」ということなのだと思います。
日本の学習指導要領で言えば、「見方・考え方」なのかなあ。ただ、それを教科の域を超えたところで活用するところまで、カリキュラム自体が反映されているのかといえば、そんなことまで考えてカリキュラム作っている公立小学校はないだろうなあとも思います。(そもそも、単元多すぎて、それを消化することばかりになってしまっているかと)
1冊まるまる読んでみて
- 概念型カリキュラムと言っているけど、カリキュラムの全体像の具体例がない。2冊目『思考する教室をつくる概念型探究の実践: 理解の転移を促すストラテジー』にあるのかなあ?
- 結局、日本の一般的な学習でも、「概念」と言われるものを扱っていないことはない。ただ、それを、単元の中だけに閉じ込めてしまっているので、汎化(転移)できないでいる。
- 事実への理解をしっかり深めないと、概念的な理解まで到達できないのではないか? だから、「教師がしっかり教材研究をして」というのがこれまでの授業観だが、子ども一人ひとりの固有の理解のプロセスを大切にするということを、もっと伝えても良かったか。
- とにかく、概念理解には、おそらく時間がかかる。だから、日本の学校は単元を精査しなくてはいけない。教科横断的も大切だが、そもそも、単元が多すぎる。
- 授業の具体的風景がもっと読みたい。おそらく、探究学習なので、教師の発問などに焦点が当てられていない。もっと単元構想を読まないと、これまでの自分の授業と何が違うのか、イメージを持ちにくい。
これを読んだ人と、ディスカッションできたら、もっと深まるかもしれません。少し時間をおいて、2冊目にもチャレンジできたらと思います。
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