算数を道具として使う 『オーセンティックな算数の学び』

大人のための読書記録

著者は小野健太郎さんです。

武蔵野大学教育学部教育学科准教授ですが、かつては東京学芸大学附属小金井小学校で教壇に立っていらっしゃった方です。

僕の友人のながけんさんもこちらの本でレビューを書いています。この記事を書くまで、あえて読みません!!

『オーセンティックな算数の学び』(小野健太郎)の感想(2レビュー) - ブクログ
『オーセンティックな算数の学び』(小野健太郎) のみんなのレビュー・感想ページです(2レビュー)。作品紹介・あらすじ:現実と数学の世界を自由に行き来する学びへ■本書の概要■長年、学びを問い直す鍵として語られてきた「オーセンティック(真正な/...

この本には本当に尊敬です。僕は乱暴にカタカナ言葉を使ってしまう悪癖があるのですが、筆者はオーセンティシティの定義も行いながら、多角的にオーセンティシティを照らし、メリットばかりかデメリットに言及することも厭いません。オーセンティシティがテーマでありながら、最後にはオーセンティシティの暴力性にまで論を進めていくあたりは、ご自身の大切にしている考えを、敢えて手放して、第3者の視点で客観的に見つめる姿勢を崩しません。僕にはこれがうまくできなかった。生半可な筆力ではないなあと感じました。

思いつくままに書いていこうと思います。

数理的処理偏重の算数に子どもも教師も浸かりきっている

努力してできるようになりたいのはやまやまでしょ!『算数文章題が解けない子どもたち』
算数文章題が解けない子どもたち: ことば・思考の力と学力不振 今井むつみ/杉村伸一郎/中石ゆうこ/永田良太/西川一二/渡部倫子 岩波書店今井むつみさんは、認知科学の研究者です。『ケーキの切れない非行少年たち』の内容を思い出しますが、こちらと...

こちらにも書きましたが、僕自身が教えてきた(学んできた)算数は、四則計算を代表する数理的な処理の部分ばかりが焦点化されていました。極端に言えば、文章題であれば、問題文など読まずに、出てきている数字の二つを選び出し、今学んでいる単元の加減乗除のどれかを当てはめるだけ。そんな誤ったスキーマで「ハナマル」を、子どもも獲得し続けてきました。

数学の世界の入り口を見つける

一方で、現実世界の算数は、それとは違います。問題場面から算数的な見方・考え方で数を拾い上げ、それを目的に合わせて処理を行い、日常場面に還元していくことが、算数的思考と言えると思います。筆者はそのプロセスを「現実の世界の問題解決過程のモデル」と表現しています。

ところが、最初の問題場面から数を拾い上げること自体、現実的には数は自ら発見しなければなりません。筆者の表現を借りれば「数学の世界の入り口を見つける」ということです。ワークショップで言えば、「題材選択」、「選書」、「問いをもつ」に近いカテゴリーでしょう。

筆者の実践の中に、「交通量調査」の単元があります。子どもに馴染みのある交差点で撮影された定点カメラ動画です。車や歩行者が次々の行き来しています。この動画の「何を数にするのか」、それこそが算数において最も大切な最初の一歩になるはずです。教師との対話により徐々に目的を帯びてきた子どもたちは、自動車や歩行者を数量化することになりますが、それだけでも千差万別。「バス、トラック、二輪車?」「トヨタ、ホンダ、マツダ?」「黒・白・赤?」

現実で、数は文字として表されているわけではありません。日常生活の中から、数を発見するプロセスこそが、算数においても最も大切なことであるにもかかわらず、授業の中では、子どもが見つける見つけないに関係なく、目的も問題場面も明確化されて、数が文字として表現されています。そうなれば、あとは数理的処理を行うだけです。教科書上にはあるものの自分の外にある目的など眼中になく、ハナマルを貰えば子どもの真の目的は達成です。

さらに、目的や条件などによっても、答えは変わってきます。筆者の実践で、スーパーのトマトの写真をたくさん撮り、「お買い得なトマトはどれか」と問います。すぐに思いつくのは、値段と重さの関係ですが、子どもたちと対話を広げると、サイズ、鮮度、産地、栄養価、環境負荷など、話は広がっていきます。つまりその行動は、子どもが自ら情報を獲得していっていると言っても良いでしょう。この場からは教師の資料からとなりますが、子どもたちが自分からスーパーに行って情報を獲得してくることも可能です。ついには、何を選択して何を捨象するのかを判断し、自分なりの答えを出していきます。

僕はこれを今まで5年生の社会科(農業や水産業など)でやってきました。「賢い消費者」や「購買が世界を変える」のような視点です。答えは様々に出ますが、「消費は選択」というコンセプトには、子どもたちは迫ることができます。それを算数科でもできるという概念は、僕にはありませんでした。

僕の中で、算数はスキル教科という固定観念があります(僕の友達は国語もスキル教科と言ってていましたが、反対したい)。そして、そのスキルを活用するのが、国語や社会や理科であるというものです。そういう「誤ったスキーマ」が子どもへと連鎖していることは否めません。

何がオーセンティシティの障害となるか

子どもたちの中のに数学から得られる感覚があるように思います。美しい「解」というものは、数学の世界にしかなく、算数科における答えは、泥臭くて、ノイズに満ちたもので良いのかもしれません。綺麗に「解」の出る算数に魅力を感じる子どもは多くいて、そういう数学的な世界に美しさを感じることは人間として生得的に持っている資質であるように思いますが、そういう美しさは泥臭くノイズに満ちた日常を這い回った後に感じることのできる美しさであって、それを追い求めるプロセスにこそ本来の算数科の価値があるのかもしれません。

そもそも、形式的な評価が非オーセンティックな方向へと向かわせているように思います。「テスト」やABC評価などは、オーセンティシティとは馴染みません。丸いお餅を四角い枡に押し込むようなものです。子どもたち一人一人が真剣に考え、泥臭くてノイズに満ちた考えを認めていくのであれば、コンテンツベースの評価は不可能で、学習に向き合う「アティテュード」や「学び方」のような評価規準の定まりにくいものを拠り所にすることになります。これは長くなりそうなので、やめます。

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算数科が作るヒエラルキー

校内ブッククラブの中で印象に残っているのが、ある先生が聞いた、校内でも聡明だとされる児童から出た発言、「結局答えは何なんですか?」という問いです。

子どもにとっても(教師にとっても)、算数(おそらく他教科についても)は、教師が一方的に問題を与え、教師が答えを持っていて、子どもはその教師が持つ答えに辿り着くという、「権力の非対称性」という構造がヒドゥンカリキュラム化されて空気になってしまっているということです。

例えば、社会であれば、「先生の言っていることも分かるが僕とは違う」というのは、ある意味で社会科の目標に沿った具体的な子どもの姿であるし、理科で言えば「目にみえる現象や数値」を俎上に真理を探求していくというベースがあるので、教師も子どもも同じ土台に乗れます。

日常の算数はというと、「先生が持っている答えに辿り着く」という隷従的ヒエラルキーの構造が当然のものとして元々そこにあり、むしろその答えに辿り着かないと次の学習が全く理解できないと言った「系統性」を利用して、教師を頂点とした学力上位層が形成するヒエラルキー構造を固着させているようにも見えます。教師に出題してもらうことで、一番泥臭くて、面倒な問題場面の明確化をしなくて済む。教師から出題される予測可能で予定調和な撒き餌を、一番最初に効率よく食べられるのが、学校外での学習機会の多い学力上位層でしょう。教師と学力上位層が依存関係になりやすい構造もあるように思います。

教師にとっても、学力上位層にとっても、ぬるま湯に浸れる領分をしっかり確保できる場が算数であったと、自分の授業を深く省みる思いです。

 

算数・数学という道具で、世界を生きる

最後の方で紹介されている、コロナワクチンの実践などは、僕としては筆者の勇気に震えました。

コロナワクチンという、子どもたちが避けては通れないものであり、かつ、センシティブな題材を、算数の切り口で敢えて取り上げ、オーセンティックな文脈で学ぶとともに、今に生きる子どもたちへの温かい教師のメッセージが含まれているように感じます。コロナワクチンを題材とする前の教材研究のプロセスなども書かれていて、同じ教師ながら、その勇敢さに敬服しました。

まさに、僕自身も「歴史を道具として使う」と言う言葉をこのブログでも使っていますが、烏滸がましくも、それをなぞらえれば「算数を道具として使う」という実践であるように思います。

算数を道具として使えば、もっと楽しい生活ができるし、もっと良い関係が生まれるし、もっと良い社会が創造できる。それを、教師自身の教材研究を通して、子どもの前に広げることによって、算数の内容以上に、算数・数学が持つ可能性を子どもたちは感じられるのではないでしょうか。学ぶことで世界をより良く生きられる手応えを感じることができる。勇敢であり緻密な授業でした。

『算数・数学を文化的な目的に焦点化することができるならば、数学の世界のオーセンティックな学びは、本説でさまざまに挙げた領域と肩を並べて、人生をプラスにするスパイスです。』
筆者は最後の章で、点数化されて人間を選抜するために使われてしまっている算数の実態を明るみにした上で、上のように述べています。丁寧な分析と筆致に、自分もこうありたいと思わざるを得ない一冊になりました。

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