「苦しんでほしい」の一考察 社会科ワークショップ体験会より

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12月27日(火)、大阪市立青少年センターで行われた「社会科ワークショップ体験ワークショップ」は、多くの皆さんに集まっていただくことができました。ご参加いただいた方々の中に、肯定的にも否定的にも、何かを残せたのならば、やって良かったのではないかと思います。運営サイドで尽力していただいた永井さんには、この場を借りて御礼申し上げます。

「社会科ワークショップ」体験ワークショップ@新大阪 12月27日(火) 13:30〜17:30
昨年の夏に出版しました『社会科ワークショップ』。コロナ禍で出版当初は体験型ワークショップを開催することを控えていましたが、今年の夏頃からワークショップをポツポツと開いています。苦労して出版したので、読んでいただいた方に直接ご挨拶したいし、こ...

「苦しんでほしい」という言葉

参加の方々から熱量の高い質問を受けて、僕も「苦しんでほしい」と、辛辣な言葉を使ってしまったので、さまざまな職場環境で仕事をしてらっしゃる方の中には、快く受け取ることのできなかった方もいらっしゃるのではないかと思って、心配をしています。

僕が幾たびか皆さんの前で話をする中で、やはり多く質問が出るのが「評価をどうしているのか」という質問です。先生方が子どもや保護者の前線でお仕事をされているので、至極当然の疑問であるように思います。

ワークショップの学びの場にどのような人が集まっているのか

こういう場合の「評価」は、「grade」などの「成績をつける」という意味であって、「Assessment」の方ではありません。もう教師としては当たり前のことですが、子どもの姿をメモして記録し、子どもが書いたものを診て、テストの点を数えて、というの行為の集積でしかないというのが、お答えになります。「何を規準に?」と突っ込まれたら、国研の資料を…というのが妥当な回答になるかもしれません。

 

https://www.nier.go.jp/kaihatsu/shidousiryou.html

 

しかし、そういう行為を根源の一つとして、教師が頂点に立つヒエラルキーが構成され、主体的に「受動的学習姿勢」を身につける子どもたちを育てていることに、皆さん気づいているのだと思います。そして、その構造を再生産することによって、既得権益を守っている人たちが多くいることをなんとかしたいと思っているのだと思います。そういうことに嫌気がさしている先生達だからこそ、官製研修ではない学びの場に集まってくださっているのかと思い、次のような話を一緒にします。

一緒に「苦しんでほしい」

右手に理想を握り、左手に現実を掴み、右回転の歯車と左回転の歯車に挟まれながら、僕たちは子どもたちが「自立的な学習者とは?」という問いに向かって、這い進んできました。だから、モヤモヤを抱いたまま、僕たちと一緒に「苦しんでほしい」ということです。

研修会を開くような先生は、何か卓越していて、苦労とかとは全く別世界にいるような錯覚を、僕自身も持ってきました。僕の影響を与えてきた多くの先生方から、当時の僕は、苦労の「く」の字も感じることはありませんでした。でも、おそらく、実際はすごく苦しんで悩んで、ここの場に至っているはずなんだと、今になっては思えます。

でも、例えばワークショップの学び方を行い、卓越した技術を身につければ、そういう苦労が消え失せて、子ども達と楽しい日々が始まると思ったのならば、きっとそれは大間違いです。そういうことに悩まなくなったら、苦しくなくなったら、僕はある意味で「教師としては不適格」なのだと思っています。それは、いろいろな境遇で、いろいろな内的世界を持つ子ども達と、意思疎通ができなくなるからです。

(では、何ために教師は学ぶのかと問われたら、きっと学び続けるモデルであるためと答えるかな。)

評価をはじめとする学校に存在する多くの矛盾による「苦しみ」を内包し、受け入れて、時にはアレルギー反応でオロオロし、それでも子ども達に「がんばったね」と笑顔で言ってあげる仕事が、先生なのだと思います。ある方が、「氷山モデルを思い描いた」と言ってくださりましたが、自分の氷山も、子どもの氷山も、見えないからイメージして、それを前提に関わっていくのだと思います。

僕も右回転の歯車と左回転の歯車に捻じ切られそうになり苦しかったこともありましたが、同じ矛盾に気づいている仲間と共有することができたので、「苦しいよねーあはは!」ということができたのだと思います。苦しさをメタ認知して、理由を明確にして、それを受け入れて、とりあえず進んで行くことができました。だから、皆さんもそうしてほしいなあと切に思います。

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「苦しんでほしい」の先に見える景色

それに慣れてくると、例えば右と左の学習のバランスをエコライザーのように調整して、その場に応じたちょうどいいバランスがどこなのかを考える視点が出てきます。「教育委員会推奨のしっかり教えしっかり引き出す学びベクトルなのか、オルタナティブ系の学びなのか、どの感じが今はちょうどいいのかなあ?」と、複眼的に考えようと努めるわけです。

よくある失敗に、何の迷いもなく「子どもは教え込んで引き出すしかない」とか、「子どもは待って伸びるのを待つ以外にない」と、どんな状況やどんな場面にも一つの方向性を当てはめて、人間関係を崩してしまいます。特に職場の同僚にさえもそれを押し付けて、相手を潰してしまうことさえあります。どんな教え方も万能ではありません。どの教え方学び方にも、メリットとデメリットがあって、それを俯瞰して状況に応じて、薄めたり混ぜたりしないといけません。それを、万能薬かのように盲信して、相手の状況や反応を見ずに押し付けてしまうのは、間違いです。何事も関係作りがあってこそ、力を発揮するものだと思います。

Free-Photos / Pixabay

苦しいことを分け合って、楽しいことを分かち合って

さて、「苦しんでほしい」という言葉を、是非とも、前向きに受け取ってほしいなと思います。モヤモヤしているとき、悩んでいるときは、健全な状態です。むしろ、矛盾を感じていないとき、苦しくないときは、何か自分をメタ認知できる機会があった方がいいのではないかとさえ思います。子どもが悩んでいるとき、手が止まってしまっているときに、「悩んで苦しんで考えていることがすてきだね」と、伝えられる先生でありたいなあと思います。まずは、自分自身がそうであるからです。

みんな同じ立場にいますので、苦しいことを分け合って、楽しいことを分かち合って、一緒に歩いていけることを願っています。

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