『バツをつけない漢字指導』で「学習者中心主義」を学ぶ

大人のための読書記録
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「学習者中心主義」とは

子どもたちの学習を教師の教え方や学習指導要領よりも大切であると考え、子どもたちの学習を第一義にカリキュラムや学習環境などを考える教育観を「学習者中心主義」と呼びます。(これは僕が勝手に定義しているもので、学術的に裏付けられた定義ではありません。)おそらく、来談者中心療法の開祖であるカール・ロジャースの流れを教育者が受け継いでいるものものと思われます。僕自身もその流れに身を浸す一人だという自覚を持っています。

コード化し隠蔽された権力者の痕跡

この考え方を紙面上や会議室のおしゃべりだけでなく、実際の教室で展開することは、とても難しいことです。なぜならば、誰のための教育なのか誰も分からないように、いろいろな教育環境の中に見えないようにコード化されているからです。これを語ると、根拠のないアノニマス的にも聞こえる話を展開することになり、そんな意図もさらさらないので止めますが、ヒエラルキーの上位層に都合が良いように教育が無意識的に制御・調整されていることをひしひしと感じています。だから、子どもたち自身の学習にそのウェイトを戻し、子どもを民主主義を構成する一人として迎え入れる必要があるのです。簡単にいうとそういうわけで「自立的な学習者を育てる」ことを標榜して先生を続けているわけです。

health japanese kanji balance 671272

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シンプルな学習の中に学習者中心を見出す

『バツをつけない漢字指導』をどうしてお薦めするかというと、その「学習者中心主義」という概念を、抽象論で語らずに、漢字指導というシンプルな具体的実践の中で深く根を張り、論を展開しているからです。漢字というと、正しい書き方を、教師がしっかり教え、子どもはそれを教わるという学び方が当然で、その教え方にまったく批判的な意見は差し込まれてきませんでした。教師の間でも、「この漢字は○ですか? ✖️ですか?」という話題はあったにしても、「そもそも、漢字で○✖️っておかしくないですか?」という議論は聞いたことがありませんでした。この本は、1998年出版で、ゆとり教育といわれる1999年の指導要領改正にむけて、流れを作った1冊であると思われますが、ゆとり批判からの現在の個性化教育と時を流れ1週半回って、僕が手に取っているわけです。

最近、文化庁からも出ましたね

平成28年(2016年)に、文化庁から「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」があり、職員室でも一時期「もう丸つけできない!!」なんて意見を聞かれましたが、すっかりそんな感覚も忘れ去られ、以前の何の躊躇もない○✖️採点方式を続けています。まあ、楽だからです。そして、漢字の学習状況を数値化できるからです。だから、○と✖️の間に、中間的な評価△が用いられることは少ない状況です。

〈参考〉国語施策の紹介「常用漢字表の字体・字形に関する指針」

「許容形」「おおむね成就」の可能性

筆者は、指導すべき漢字の「規範形」を認める一方で、それとは少しズレた「許容形」や「おおむね成就」の書き方を積極的に取り入れ、✖️にせず、丁寧に励ましながら、学習者自身の自己陶冶力を育てることを主張しています。たとえば、「とめ」「はね」「はらい」は、字体による違いや、筆記具の変遷などで、○✖️で評価できるような正しい形が存在するわけではないし、「天」の指導のような長短の違い、「風」の3画目の向きも、確かに「規範形」ではないにしても、✖️にするにも根拠がなく正しいとも言える資料があり、そういう場合は「おおむね成就」として、コメントなどをして導いていく。つまり、漢字という一見暗記しかないような学習内容であっても、それは、言葉との出会いの旅路を行く子どもたちの心を励ますために、教師の仕事の都合である✖️はつけずに、学習者中心主義に立って学習を支援していきます。

漢字における生きて働く知識・技能とは

現行の指導要領でも、「当該学年の前の学年までに配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,当該学年に配当されている漢字を漸次書き,文や文章の中で使うこと。」とある通り、その学年の漢字を全て正しく書ける必要はなく、もちろんテストで100点取れることではなく、文章の中で活用できるような「生きて働く」知識でないといけません。テスト対策のように、文脈のない羅列された言葉では、その力は測れないはずです。筆者の言うことに、大いに納得しています。

calligraphy heart kanji 7073955

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一字形一筆順ではない

「左」と「右」の筆順でそれが顕著に現れます。小学校教員は、左は、他の漢字と同じように横・払と書くが、右は払・横という順で書きます。漢字の中では例外的な筆順であるが、小学校一年生のような漢字と出会ったばかりの子どもが例外など分かるわけもなく、「正しい書き方でなければ✖️」と指導される。実は筆者によると、歴史的な漢字の文献をあたっても、右という漢字の払が先か、横が先か、どちらが正しいとも言えなかったり、どちらも正しいというような文献もあるそうです。「一つの漢字に、正しい書き順は一つしかない」という誤解が学校にはあります。

権力の非対称性

学ぶことを始めたばかりの小学校1年生に、基礎・基本だからと、「正しい」とされる知識を強制的に飲み込まされていく教授の仕方は、子どもの「学校化」でもあり、「社会化」でもあります。まさしく、裏カリキュラムというわけで、大人の言った通りにやらないと○がもらえないことを、体得していきます。ひどい時には、はねや払が正しくないと✖️、なぞりは少しでもズレていたら✖️など、相当に厳しく指導する先生もいます。そこまでする熱意は素晴らしいとは思いますが、親切の押し付けほど怖いものはありません。権力の非対称性の中にある親切は、簡単に暴力や人権侵害に変わります。

まずは教師が自立的な学習者へ

「教師に漢字の歴史的背景まで求めることはできない」と言われますが、権力の非対称性の中、それでも理性的に仕事をするためには、何が正しいのか、正しさとは何かを学び続けないと、自分を見失うことになります。教師だからこそ、自らが自立的な学習者となり、自己陶冶力を鍛えていかないといけないのです。

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