最近、『勉強するのは何のため』(苫野一徳 日本評論社 2013年)という本を読みました。誤解を恐れずに一言で説明すれば、この本の作者は、<自由>になる力をつけるために学び、学校は<自由>をお互い認め合える力を育むためにあると言っています。なるほど、すばらしい考えです。
今回は、「読書」がテーマですので、「読書」から離れずに、「勉強」について考えていこうと思います。
一言で言って、私は「楽しい」から学んでいます。ですから、「勉強するのは何のため」と問われれば、「楽しいから」と答えるのが最も簡潔だと思います。
「いや、勉強なんて楽しくない!」「算数や漢字のどこが楽しいか分からない!」という声が聞こえてきそうです。たしかに、みなさんにとっては、勉強は悩みの種である場合が多いかもしれません。
まず、みなさんにとって、勉強とは算数や漢字のことかもしれませんが、私にとっては、先生という仕事ですから「教育」や「学習」について考えたり、また、こうやってみなさんに読んでもらう文章を書いたりすることが勉強です。また、本を読むことも、仲間と「学習」について語り合うことも勉強です。広い意味では、最近気になるトピックスである「三浦大根や箱根寄木細工」を調べたことも、はたまた、「ビリヤードで勝つ方法」を調べることも、勉強に当たるかもしれません。
もう正直に言うと、楽しくて仕方がありません。私は、「教育」や「学習」を勉強することを通して、たくさんの楽しい人と出会ってきました。勉強のためのサークルや研修会に行くと、いろいろな夢をもち、それに向けて魅力的に仕事をしている人ばかりでした。
さらに、いろいろな著者と本を通じて対話をしていきました。本を読むと、自分の目の前で著者が話をしてくれているかのようです。歴史学者、哲学者、起業家、外国で先生をする人、料理人、マラソンランナー、小説家、エコノミスト、記者。たくさんの人と、本を通じて話をすることができました。
また、自分の考えもどんどん話したり書いたりしていきました。みなさんのように、自分の言っていることが他の人には受け入れられないのではないかと、怖くなることもありますが、反対に、自分の考えをしっかり伝えることで、たくさんの魅力的な人たちとつながることもできました。自分の考えをしっかり伝える場を作ることで、自分の勉強したことが整理されて残るようになりました。
私にとって勉強は楽しいからするのです。<自由>になる力が自分の中にどんどん身に付いていることを、そして、昨日の自分より、今の自分の方が<自由>になっていることを感じられるので、勉強することは楽しいと思えるのです。
「ぼくは勉強することで<自由>ではなく、逆に不自由になっているよ」という人はいませんか。「苦手な計算や漢字を勉強するのは<自由>ではないよ」と。小学生の時の私もそうでした。それはなぜなのか、考えてみます。
今の私は、勉強することを自分で決めています。そして、勉強の仕方も自分で決めています。なぜならば、自分の勉強をだれも私のために用意してくれないからです。当たり前のことですが、自分の勉強は自分でつかみ取っているのです。
ひるがえって、みなさんはすべて用意された環境の中で勉強しています。鉛筆や消しゴム、ノート、机のほかにも、国算社理という教科、今日の時間割、年間の予定、小数や分数、『三つのお願い』や『ウナギのなぞをおって』。あなたが決めたことはありますか。残念ながらほとんどありません。
「子どもだから仕方のないこと」なのでしょうか。わたしは、この「子どもだから…」という言葉の中に、子どもが考えることを止めてしまう魔法がかかっていると思うのです。(この辺りは説明不足です。もっと書きたいのですが…。すみません)
そしてみなさんは、勉強する内容や勉強の仕方をこと細かく大人が準備しないと勉強できないのでしょうか。学校や塾の先生がその日の1時間に子どもたちが勉強する内容をしっかり用意して、子どもたちは何も決めないで言われるがまま勉強する。そのように周りの人に決めてもらわないと勉強できないのでしょうか。周りの人が大切だというものを学ぶことも大切ですが、自分で決めたことを勉強することも、それ以上に大切なのではないでしょうか。
テストに出ないことを勉強しても意味がないですか。では、テストがなければ、勉強はしませんか。子どもたちに勉強させるためにテストはあるのでしょうか。
私は、たくさんの大人がみなさんを「失敗しないように、失敗しないように」入念に準備をし過ぎているように感じることがあります。「算数と国語は大切だから…」「45分話を聞けるように…」「ちゃんと勉強していい会社に行けるように…」大人はもっと子どもたちを信じて任せていいように思います。子どもは「失敗」しても、うまくいかなくても、経験して学べる。「失敗しないこと」よりも、「自分で決めること」「諦めないこと」の方が大切だと思うのです。
「先生は、子どものときにつまらない勉強したから、今の楽しい勉強ができるんだよ」という声も聞こえてきそうです。私は小学生の時、漢字がとても苦手でした。正確に言えば、「覚える」という事が苦手でした。けれど、「考える」ということが大好きでした。だから、自分の良さを生かして勉強したらもっと楽しいんじゃないかと考えたことがあります。それに気づいたのは、20歳になってからでした。もっと早く自分の性質に気づいていればなあと思います。小学生の時、苦手な「覚える」ことが勉強であると錯覚していました。「覚える」ことも大切ですが、自分の良さを生かした勉強は、「考える」ことでした。
私は「楽しい」から勉強しています。学ぶって楽しいですよ。世界がどんどん広がっていくことが実感できますし、自分の小ささを感じたり、自分の可能性に夢をもったりすることができますから。おそらく私は、一生勉強していくと思います。
みなさんは「勉強するのは何のため」という問いにどう答えますか。自分の考えを作ったら、おうちの方にも聞いてみてくださいね。
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