[本を読んで一行ダイジェスト]
○質問できるようになることが、人を育てることになる。
○質問する機会を与えるというレベルでは収まらない。
○質問を作ることを学習の主軸に据えるということ。
○質問をしないということは、教師のために学習をしているということ
質問を作る力を軽視していた。
質問があるということは、子どもたちは主体的に学習をしようとしているということ。質問がないということは、教師の言うなりに学習を進めていこうとするということ。
そういう質問あるなしの次元ではなく、質問を作る能力を育てることによって、学習は子どもたちのものであるという前提に立ち、子どもたちに学習の最初の一歩を自分の力で踏ませようとする教師の意志が伝わってくる。
質問を作ることに焦点を当てて書かれているが、子どもたちに多様な質問を提供された以上、それを探求する環境を作ってあげなければ、質問作らされて終わりという虚しい感覚になることは避けられない。質問は、それに自分自身を近づけていくことに意味をあると思う。基本的な探究的な学習についてはPBL関連の本を読むのが良いのだろう。
実際に本を読んだあとに、質問を作ってみると、自分が本の内容を思い返し、自分の経験と照らしあわせたうえで、質問を作っていることが分かる。質問づくりは、それ自体が振り返りになる。質問づくりがスタートではなく、新しいスタートのための振り返りになることもある。
また、学習の途中で行えば、質問づくりが自分の学習のプロセスを振り返る自己評価になる。しかも、一般的に振り返りを行うことによる「なんとなく終わった感・一息ついた感」が薄くなるように感じる。質問づくりは、つねに学習の動力を失わせない原動力があるように感じる。
質問づくりの可能性は広い。
[本を読んで質問作り]
・どうして質問するということを学校でもっと教えてこなかったのだろう
・質問すると学校にとってどんな不利益が出るのだろう
・学校は子どもの多様な質問を受容するような仕組みを持っているのだろうか。
・学校は質問を受容するコミュニティになろうと考えているのだろうか
・質問を質問だけに終わらせないためにはどうしたらよいのだろうか
・質問だけで終わることに価値はあるのだろうか
・学校や教師は質問できる子どもの成長を望んでいるのだろうか
乱暴に言えば、質問を作る力を育てない学校は、上の命令に背かない「優秀な人材」を育てているに過ぎない。質問せずに、空気を読める人間作り。
僕が怖いのは、子どもたちが自由闊達に質問を作り出し、探求し始めた時に、子どもたちの貪欲な学習意欲をしっかりサポートできるかどうかの不安がある。教師の手腕が問われる。子どもたちの学習の自立化にどれだけ教師は備えることができるのだろうか。
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