エンデのモモ。自分も灰色の人。抜け出すためにはどうしたらいいのかな。

子どものための読書記録

自分もまた、灰色の人、灰色の毒で忙しく働きまわっている人です。私も教室の中に灰色の人を再生産していることを、イメージしながら読んでしまいました。モモが灰色の人を蹴散らしてくれて、気分はスッキリしているけれど、自分の中の霧は、すっきり晴れません。自分もまた、灰色の人の一人であることに気付いてしまったからです。

(もう読むのは3回目ぐらいだと思いますが、読む度にきづいているのです。自分と時間との付き合い方を、読む度に見直しているはずなのだけれど、一向に進んでいる気持ちになりません。)

将来役に立つ大人になるために、勉強になるからと、青白い煙をふかしながら、教壇の前に立っている自分がいます。子どもたちに、今を楽しむことの大切さを蔑ろにするように仕向けている自分。この本を読んで、殆どの人が、モモよりも、灰色の人や、町の人達に自分を重ねて読んでいるんじゃないかな。自分だけでなく、他の人の人生も、灰色化させてしまっているかもしれない自分にも、がっかりです。

学校の勉強では、『見通し』や『目的』を強調されることが多い気がします。けれど、そればかりに気を取られていては、灰色の人への道を突き進むことになるのかもしれません。
他の人のために自分の時間を使うことや、ゆっくり自分を感じることを大切にすることなど、自分や身近な人の今を大切にしたい。それが、本当に自分がじんわりと温かく居られる時間の感じ方なんだと思います。
(もちろん、「見通し」や「目的」を否定していません。むしろ、合ったほうがいいです。けれど、今の自分が合ってこそ、今の自分が喜んでいるからこそ、なのだと思います。)
それは、四角四面に切り取られた学校では、教えられるものではないでしょう。家族や友達が手がかりをくれて、自分で掴み取るものなのだと思います。自分で掴み取るチャンスを、自分の子どもに、学校の子どもたちに、手がかりだけでも与えてやれているかどうか、振り返ります。

モモは、カシオペイアに頼りきりなところがあります。モモもまた、他の子どもたちと同じように、導きが必要なのですね。

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