仮想通貨は社会を変える?

金融教育
xresch / Pixabay

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2018年も激動の1年になる。僕らの気づかない所で。

最近、仮想通貨やクラウドファンディングのツイート、新しく買った本の何冊かを読んで、感じていることがあります。僕が忙しく仕事に翻弄されている間に、世界は着実に変化しているということです。

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物々交換から米へ

人は狩猟をして暮らしていた時代から、お米をそだて蓄えることで、身分の上下関係ヒエラルキーが生まれてきたと教科書で習いました。お米を育てるには、灌漑、農作業、収穫、備蓄など、人間が一斉に動かなくてはならない作業が多く、指揮をする人物が必要です。また、お米は保存ができるため、それを多く所有する人と少ししか所有できない人が生まれました。

それは、食料が森のなかに自然にストックしてあった狩猟社会と比べると全く違います。食料が少なくなったら移動しなければならなかった時代から、定住することで安定的に食料を得られる時代になったわけです。

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米から銭へ

そして、織田信長は、お米中心で回っていた価値の交換から、銭の世の中になることを予見し、港を中心に栄えてきた商人を味方につけようとする。この流れに付いてこれなかった戦国大名や豪族たちは、少しずつ衰退していき、外国との通商や商人の力を得られたものが、生き残っている時代となりました。

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銭から円・ドル、金融商品へ

そして、今、お金として私たちが見えている世界は、ほんの少しで、私たちが見えているお金の世界は、氷山が海中から出ている一部分にすぎない。金融という得体の知れないお金が9割、私たちがお金として捉えられている世界は、その9割の動きによって、木の葉のようにひらひらと揺れ動く存在になっています。

リーマンショックが良い例です。あれでさえ、世界金融がちょっとくしゃみをした程度だと思っています。それで、あれだけ世の中が騒ぎ出す。

円みたいに私達に見えやすいお金は、動いていないように見えますが、実はものすごく価値が変わってきているものです。明治30年頃では1円あれば米が10キロ買えましたし、一昔前まで牛丼1杯300円以内で買えましたが、今ではそれは無理です。円やお金に不変の価値があると思っていると、心は穏やかになりますが、現実はそうではありません。

一昔前まで、1ドルが80円台でした。今は1ドル130円くらい。円とドルを比べただけでも、円の価値は揺れ動いていることが分かります。

明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?(1) | お金の歴史雑学コラム | man@bowまなぼう

仮想通貨へ

そして、2017年は仮想通貨が世の中に少しずつ広がっていく年でした。

仮想通貨があれば、どういったことができるのでしょうか。

  • Amazonで、海外のkindle本をダウンロードして、仮想通貨で支払う
  • メールに仮想通貨のアドレスを添付して送る。
  • 海外からのオーダーで仕事をして、仮想通貨で報酬を受け取る
  • 世界中のファンドに仮想通貨で投資する
  • 海外旅行は両替が面倒なので、仮想通貨で支払いする
  • 東京オリンピックで外国人が仮想通貨で支払う
  • 世界中の人からクラウドファンディングを通して、仮想通過で資金を集める

知識や経験のない僕でも、これだけ想像してしまうのですから、知識のある人達はもっとすごい世界を想像しているように思います。

さて、米、銭、円やドル、金融商品、と価値を表すものが変遷を辿ってきて、次は仮想通貨や仮想通貨が取り巻く金融にシフトしていこうとしています。

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「夢はYouTuber」

卒業文集にYouTuberになりたいと書いた作品を読み、ぼくはその時おもわず笑ってしまいましたが、いまではこれを恥じています。自分の価値を発信することがこれからの価値主義を渡っていく上で必要なスキルになることを、僕は感じていなかった。その子はもうとっくに分かっていて、それをYouTuberという言葉を使って表現したに過ぎず、僕はそれを良くも分からずに現実を知らないで笑い飛ばしていただけ。自分の感覚の鈍さに恥ずかしい気持ちになりました。

おじさんはこんな社会にどう立ち向かう?

もう、僕も、デジタルネイティブの人たちについていけるかどうか分かりません。ネットを自分の体のように扱えることこそ、これからの生きるスキルになるでしょう。子どもたちが片時もスマホを離さずに生活していることも、実は子どもたちはこれを肌で感じ取っているからのように思います。いつだって、子どもたちや若者は、次の時代に何が大切になるのかを、敏感に嗅ぎ取って、適応しています。時代の予見者なのです。

もうすぐ40を迎えようとしている自分は、何をしたらよろしいでしょうか。おじさんにでも、ちょっとがんばって、新しい情報を自分の物にしていこうと思っています。それを、これからの世の中を生きる子どもたちに還元するために。

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