本時目標の意味ってなんだろう?

学習多様性

本時目標は何のため?

本時目標の意味って何だろうと思っています。

海外の教育実践本で本時目標や本時展開、本時の評価規準が載っている本を見たことがありません。もちろん、僕が読んでいるものは、オープンな学習に偏っているからだと思うのですが。

本時目標を設定するということは、子どもたちがスタンダードを達成するために、1時間1時間毎に目標を設定していくということですが、どちらかというと、本時目標に必ず足をかけなければならないという制約のほうが強いように思います。

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全員同じ本時目標ってありえる?

もちろん、そういう子もたしかに居ることは分かっていますが、全員その方法で学ぶ(その本時目標を経過して学ばなければならない)というのは、逆に学びにくくしている子もいるように思います。そして、子どもたちの可能性を意図的に制限しているようにも思います。

本時目標が存在するので、Differentiated Classroomが実現しにくいという面もあるように思います。多様性が入り込む余地を残した漠然とした本時目標だと、「具体的でない!」とお叱りを受けることもあるでしょう。基本的に教師の路線通りに子どもたちを学ばせるような系統的な学習であれば、それでいいのですが、1時間1時間ご丁寧に教師からのご指示をもらいながら学習をして、本当に教師のアウトラインを再生産するような子どもを育てて良いのでしょうか。

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特別支援級は個人の目標を設定している

ご存じの方も多いと思いますが、特別支援級の場合は、一人ひとりに本時の目標を作ります。それは、一人ひとりが大きく違うから。指導案を書くときには、子どもの数だけ本時の目標が並びます。(もしくは、3段階ぐらいにして提示しているものもあったかも)

個別支援級の子は一人ひとりが目標を持っていて、多様性を尊重されている一方で、一般級の子どもたちは、全員一緒の本時目標で、標準化を求められる。一つの学校の屋根の下でも、そんなに違って良いのでしょうか?

子ども一人ひとりの学習は固有のもの

子どもたちのスタート地点は、多様であるという認識をもっと持ったほうがいい。生活経験、学習の習熟度、興味、嗜好、マルチプルインテリジェンス、家庭環境などなど、その子自身の学習は固有のもので、さまざまなプロセスを経ながら、単元目標へと到達しようとするということ。スタート地点が違うのだから、目標という方向性に近づくためのプロセスも個人によって変わってくるはず。それぞれの子どもが、学習が始まる前に、どんなものを持っているのか、何に興味があるのかを、しっかりプレアセスメントしてから、学習に臨みたいですね。

学習中に注意を向けなければならないのは、本時目標ではなく、ユニットの目標やスタンダードと子どもたちの学習状況の相対的な位置。背中を押してあげるべきか、ちょっと目標から離れてしまっているから軌道修正するべきか、むしろ、このまま行かせるか、あっという間にスタンダードを越えているのでもっと先の目標を示すべきか。それを、カンファランスで再現させたり、ジャーナル、ログなどで読み取っていく。やっぱり、基本の対象は個人なんですよね。

子ども個人が、本時にこれを達成したいというものをもっているのは大賛成。でも、それが全員に降りかかるというのは、何か違和感があります。

Diversity

geralt / Pixabay

 

 

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