「ワンダー」(R・J・パラシオ ほるぷ出版)から考える、子どもの氷山の一角

子どものための読書記録
 水色が綺麗なこの本を読み終えた後、校内でもこの本を読み終えた先生が3人もいて、さらに、区内の研究会で読書会があったので、たくさんの方とこの本について楽しく語り合うことができました。

 

 オーガストという顔に障害をもった子どもが、ある日小学校に編入学するお話です。「人権感覚を養う」みたいな教科書的な内容ではなく、オーガストがかなりユーモアのある少年だったり、自虐ネタを連発するような子なので、真面目な感じではありません。アメリカの学校の雰囲気や子どもたちの生活の様子もよく伝わってきます。
 この本の作者の上手なところは、オーガストから見た世界だけを切り取るのではなく、章ごとに主人公が変わって、同じ場面を違った角度から見られるところです。同じ場面をオーガストから見た場面と、彼のお姉ちゃんから見た場面とで読めるので、ひとつの場面を多角的に捉えることができます。そうすると、オーガストが主人公の時に描かれなかった心理描写が、その他の主人公のところではしっかり描かれていて、この時、この登場人物がこんなことを考えていたのかと、登場人物たちの心に引きこまれていきます。
 同じ場面だけを繰り返す内容ではなく、ちょっとずつストーリーが進んでいくので、この場面では、この登場人物は何を考えているのだろうと、自然と想像してしまう構成になっています。この表現の仕方は本当に上手です。

 

 オーガストの回りを囲んでいる子どもたちの、やさしさと葛藤が、とてもうれしくなります。僕にとっては、主人公がオーガストではなく、むしろ周りの子どもたちでした。
 よく言われるのが、今見えている子どもの姿は、海面上の氷山の一部分に過ぎず、海面より下の氷山の途方も無く大きい部分は、なかなか見えないということ。この氷山の理論をワンダーを読んで思い出します。例えば、ミランダであっても、最初は僕は印象の悪い女の子の視点で読んでいたのですが、いろいろな子どもたちの視点で描かれるミランダの像を紡いでいくと、彼女の思慮の深さや葛藤、悩みや苦しみなどの共感してしまい、最後の方では、ミランダも結局心のやさしさ故に葛藤している女の子なんだなあと、かなり印象が代わりました。
 教室の子どもたちについて、担任がわかっていることなんて、本当に氷山の海面部分の正面しか見られていないに過ぎないですね。僕も、けっこう子どもたちを一面の部分だけ判断してしまい、知らず知らずのうちに「◯◯な子」という安易な判断をしてしまいがちです。僕の知らない子どもたちの葛藤がたくさんあって、それを乗り越えて、子どもたちは生活をしているんだとうことを忘れないようにしたい。

 

 この本は読書感想文の高学年の課題図書であることを後から知りました。この本で読書感想文を書くことは、指導によってはかなり酷なことだと思います。それは、読書感想文の指導でよく行う、人権的な表現への指導のことです。
 感想文という文字にすること、感想文が良ければ冊子になり印刷され多くの人が読むこと、そういうことを配慮すれば、人権的に引っかかる表現を指導することは当然のことなのですが、このワンダーと言う本はそれを望んでいるように見えません。
 ワンダーを読んで、障害というものに対して向き合う。その心のもやもやを、友達と共有したり、物思いに耽ることは、僕にとっても必要なことでした。けれど、もし、子どもが障害に対して向き合って書いてきた作文を、心ない大人の「人権指導」という正義によって、踏みにじられたり、書き直し地獄をさせたられたりするのならば、子どものためになるはずがありません。その文章を教師が受け入れて、障害という大きなテーマと戦ってきた子どもたちを認めるべきかと思います。
 オーガスト自身も自分の障害をブラックユーモアで表現しています。また、大人や教師が感想文を書いたとしても、人権的にひっかかる表現を使ってしまうか、もしくはその逆で、まったく深層が描かれていない表面的な感想文になっておもしろくないか、どちらかだと思います。
 障害がテーマの読書感想文の課題図書は、毎年あるのですが、もし人権的な表現を指導するという偏った正義で、子どもたちが苦しい思いをしているのならば、それは間違っているような気がします。

 オーガストと彼を取り巻く子どもたちの、やさしさゆえの迷いや葛藤がよく描かれたお話です。(終わり方は、評価が分かれます。僕は、アメリカ青春映画っぽいなあと、商業主義的な匂いを感じてしまいましたが。。。)ぜひ、一読を。

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