親の手で行う学校改革に感動 『ウォント・バック・ダウン ママたちの学校戦争』

大人のための読書記録

 

「ウェイティング・フォー・スーパーマン」で見るアメリカの教育

終わっている学校を潰して、新しい学校に作り変えるお話

前回のこのウェイティング・フォー・スーパーマンに関連した映画です。

主人公は読み書きの学習障害をもつ女の子のお母さんジェイミー。この子の通っているアダムス小学校が最悪、特に先生が最悪。レモン教師なのです。

子どもの教育環境に呆れ返ったジェイミーは、地域のチャータースクールに応募しますが、落選。こちらのチャータースクールも、くじで当たれば入学できるという制度、外れた人はさようなら、厳しいアメリカの学校制度です。ウェイティング・フォー・スーパーマンそのままの舞台設定でした。

ところが、ジェイミーは同じくチャータースクールに入れなかったノーナという教師と協力して、アダムス小学校を作り変える計画を始めます。

僕は詳しくないので、詳しい方がいたら教えてほしいのですが、アメリカでは、保護者と教師の半分が同意すれば、今の学校を潰して新しい学校を作り変えることができる制度があるらしい。ジェイミーのノーナは、保護者や先生達を説得して回り、最後には学校改革をしてしまうという話です。

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レモン教師に目を覆いたくなる

一斉指導の場でディスレクシアの子を立たせて文字を読ませたり、トイレに行かせないでおもらしさせてしまったり、ジェイミーの子の担任の先生がレモンすぎて、目も当てられません。教師としてそういう映画を見ると、映画なのにかなり憤りを感じてしまいます。

ここでも、組合が登場して、先生を守ろうとするのですが、それに乗じて、多くの先生たちもお金と保身のことしか話題にせず、子どもたちを育てようという気概が全然ない。前半はノーナだけが空回りしてしまいます。

アメリカの教職員組合をそんなに悪く描く必要もないような気もしますが、本当に怠惰な教師を解雇できない現状の制度は、アダムス小学校のような学校を作り出してしまう恐れがあります。

かといって、「組合が要らない」とまでも言えない。教員の待遇改善に力を発揮していることはあるだろうし。でも、最近は、教員の待遇改善を促しているのは、世論やマスコミの影響のほうが大きかったりもする。組合の存在意義が、かつてほど強くなっていないのが、ここ最近の日本の現状だろうか。

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教育格差

アダムス小学校では1割以下の子しか大学に行けないのに、お金をかけて素晴らしい教育を行う学校では、大学に行かない子どもの割合が1割以下、それぐらい学習環境の差がお金の問題で広がっています。

アメリカだけの問題ではないなあという印象です。アメリカほどではないにせよ、お金や居住地域の差で学習環境が変わってくるのは、アメリカだけの話ではないはず。

子どもたち個人に差があるのは当然、けれど、入れるクラスや学校によって、子どもたちの成長の機会が著しく損なわれてしまうどころか、自尊心を砕かれてしまうような学習環境で育った子どもがいる。親たちが、私たちの子どもを刑務所には行かせないと、奮起する姿は、対岸の火事という状況ではなくなってきているように思う。

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この映画はちょっともったいない

社会派の映画なのだから、もっとタイトルはかっこよくすべきだった。折角のよい作品が、コメディっぽく感じてしまう。

あと、主人公が学校の先生と恋愛関係になるのだが、そういうのも余計。そういうストーリーにすると、視聴率があがるのかな? せっかくの社会問題に立ち上がる、子どもを愛するお母さんの話なのだから、恋愛とかはちょっと脇においておいてほしかった。

だからといって、この映画を否定するわけではありません。お母さんの熱意にうるっとくるシーンもたくさんありました。アメリカの教育制度を知りながら、同時に熱い思いを感じることができるこの映画は、おすすめです。

 

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