短歌は堅苦しくない
今回のブッククラブで学んだことは、短歌は堅苦しくないということ。
インスタのように、日常を写真や言葉で切り取る、そしてインスタ映えするように加工編集する。それが短歌なんだと思います。
現代短歌をもっと子どもたちに紹介するべきだったんだ。そして、日常の感覚を、単価に乗せて楽しく一首作ればよかったんだ。短歌の学習を作りたくなる本です。
最後に参考文献載せておきます。
「短歌は最強アイテム」で感じる、自分の鎧
素直な自分を出すということほど、筆力が必要なものはない。いや、そうではなくて、筆力があればあるほど、自分を華美に見せたり、多少盛ったりすることも、筆の力でなんとでもなる。
ところが、自分の弱い部分、自分の汚い部分を文章に表すには、自分の心のフィルターを解き、言葉によって自分を再定義するような、苦しいプロセスを通過しなければならない。自分の自然体と向き合って、言葉にする。心が整っていないと、言葉が過剰になり、言葉の鎧をどんどん纏ってしまう。
今回の大人のブッククラブでの課題図書「短歌は最強アイテム」で、自分は厚い鎧が脱げていないなあと感じた。
不甲斐ない、情けない、素直なエピソードに励まされる
不甲斐ない、情けないエピソードを盛り込んだエッセイ。意外と難しい。自分が活躍できたエピソードや、最近の関心事を書くようなエッセイは、すらすらと思うままに書くことができるのだが、うまくできなかったエピソードや、みすぼらしい自分についてのエピソードというのは、出てこない。おそらく、書こうと思っても忘却の彼方にあり、無意識の自分によって蓋をされてしまっているのであろう。
千葉聡先生は、神奈川県立高校の国語の先生。ニックネームは「ちばさと」。このエッセイの中でも、桜丘高校の先生として登場する。
ちばさとのエッセイは、素直だ。教師として感じる情景の一瞬を、しっかりときりとってエッセイにしている。まさに、短歌と同じ発想。流れていく日常を、31音のみで切り取ることで際だたせるように、学校生活の日常をエッセイとして切り取っていくことで、教師としての見方・感じ方が凝縮しているように思う。
そのエピソードも、高校生の高校生らしい日常があれば、ちばさと先生の不甲斐ない、情けないエピソードもたくさんあり、同じ教師の立場からして、とても共感してしまう。そう、素直なちばさとの切り取った日常に、自分も同じだと、元気づけられるような、つながっている感覚を感じられるような、そんな気分にさせてもらえるのだ。
正直な言葉で、読者の心を勇気づける
こういう感覚を忘れていた。というか、自分には足りない。
自分の人間らしさ、カッコ悪さ、不甲斐なさ、情けなさを、素直に言葉にすることで、人の心を動かす文章ができる。
かっこいい実践。素敵な子どもたちの姿。輝く自分。ほうっておくと、そういう方向性で自動的に文章が出来上がってしまう。読者は、たしかにすごいが特殊な実践、やってみたいけど良くわからない。自分のところではできるはずがない。となってしまう。つまり、読者の心が勇気づけられていないのだ。
文章で勇気づけるには、言葉で励ますにはどうしたらいいのだろう。がんばれ!でもなく、すごいのやってみようでもない。
それは、正直な言葉で実践を綴るということなのだと思う。
みずみずしい言葉で
ダメだったこと、うまくいかなかったこと、でももう一回チャレンジしてみたこと、そういう正直で素直な言葉で綴られた教室で、読者は心を動かされるのではないだろうか。
僕は書いたことがある。読書家の時間の「教師の変容」の章。あれは正直な気持ちでワークショップを捉えた文章だった。もう一度、あんなみずみずしさで文章を書いてみたい。
そんな思いで、「短歌は最強アイテム」を読了し、社会科ワークショップの原稿をドヤって進めようかとねっているところです。
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