第11章 リフレクション それは、生きるために学ぶために成長するエンジン
振り返り論。私達の教室の振り返りは、教師の計画通りの振り返りや、教師が成績をつけるための振り返りなどが多く、本質的な「自己評価力をつけるために」「自己修正力をつけるために」という目的で行われている振り返りは少ない。振り返りは、僕自身のそれのように、学習のエンジンとなるのが最高の形
— トミー (@tommy32wider) 2018年7月31日
教えれば教えるほど、元気になるのは、先生自身。自分の有用性・優位性を感じられる。けれど、教えるというのは「アドボカシー」でもある。子どもが学ぶ権利を擁護されるために、一定程度大人が加速をつけてあげること。子どもは早い段階で、アドボカシーから自立させないといけない。
— トミー (@tommy32wider) 2018年7月31日
振り返りとは、「自己修正力をつける」ことが真の目的で、授業内容を理解しているか確認することは、副次的な目的。教えるというアドボカシーから自立するためには、自己修正力をつけて、自立的に学ぶ力を体得すること。そのために、ほんとうの意味での振り返りを大切にしたい。
— トミー (@tommy32wider) 2018年7月31日
振り返りです。難しいですね。
まずは、価値や目的を教師自身がしっかり捉えられていませんし、だから、子どもたちにも明確に振り返りがどんな力を持っているのかを伝えることもできていません。
振り返りは、自立的に学力を育てるためにある
振り返りは、なんのために行うのでしょうか。
トミーは、振り返りは自立的に学力を育てるために行うと思っています。
振り返りを通じて、生涯使える学習力を身に付けさせなければなりません。だから、振り返りは次の自分の学習に還るべきだし、未来志向でポジティブな方が、意欲的なマインドセットを保持することができる。
何より、振り返りには、どんな意味があるのかを、教師はしっかり「教え」なければならないし、そここそ価値をつたえていかなければなりません。
僕自身は、こうやって、体験したり、本を読んだり、対話したりしたことを、自分の言葉でブログで置き換えていく方法が、もっとも振り返りの方法としては効果があるように思っています。そうすれば、自分の言葉に置き換えたことで、価値の保存ができるようになる。そして、自分の生活や仕事やいろいろなことに還元できるようになる。
そう考えると、小学校のうちに、振り返りにはいろいろな方法があり、それ自体が、子どもたち自身を評価するためにあるのではなく、自分を高めていくためのエンジンであることを教えていかなければならないし、教えることから脱却して、子どもたちが体得していってほしいマストなスキルですね。
現状、振り返りは教師の仕事のために行わせている
振り返りは、教師の立てた本時目標や単元目標が達成できているかどうかを測るためにおこなうものではありません。それは、教師の都合でおこなう振り返りです。子どもの頭の中に、教師が与えたコンテンツをインストールできたかどうかを測る道具ではないのです。
と、強い言葉で書くとそうですが、内容の習熟の程度を見る振り返り、評価の材料としての振り返りを軽視しているわけではありません。けれど、振り返り自体が内包している、本当の目的を忘れてはいけないなあということです。
僕自身も、ご多分に漏れず、子どもたちの振り返りを教師の仕事の都合でやってしまっている感を払拭しきれていません。結局は、自分の教えたことを「インストール」できているかみたい、評価をするときに材料にしたい、という副次的な目的のほうが前面に出てしまい、自立的な学習ができるようにするための振り返りには、まだまだ到達できています。僕自身の学習への向き合い方、マインドセットの問題だと思っています。
Authenticな振り返りは、Authenticな学習にしか生まれない
当たり前ですが、見落とされがちな問題だと思います。
上のような、自立的に学習する力を身につけるための振り返りは、自立的な学習力の身につく学習環境でないと意味がないです。オウナーシップをもち、自分の学習に責任をもっている状態でないと、振り返りは表面的で他責的(教師の意図に軸足をおいたような振り返り)な振り返りになってしまうことでしょう。本当に自分の責任のもとで学習をすすられていれば、振り返りは、自ずと自分の次の学習のために行われるものになってくるはずです。
そのためには、そういう自立的な学習環境のもとで、教師の支援を得られる必要があります。
教師の支援イコライザー(量的にも、質的にも)を、しっかり調整していかなければなりません。
問題は、自立的な学習力というは、測定・評価できるのか?
星の王子さまで、「大切なことは目に見えない」とありますが、大切なことであればあるほど、目に見えやすい形(数字)にすることが難しいものです。大人は、星の王子さまに登場する実業家のように、なんでも数字で見える形にして提示すると、安心してしまいます。けれど、その数字には、見方によっては、私達が本当に求めていることを真に表しているとは言えないことも多々あります。
Reflection The Engine of Growth in Life and Learning
アメリカは左ハンドルで、イギリスは右ハンドルだから、いつもどおり運転していると事故が起きてしまう。けれど、振り返りを行うことで、自動化されていた思考を修正し、右ハンドルに対応することができる。
アインシュテルング効果
自分なりの結論をすでに得ていると、ほかの可能性が目に入らなくなってしまう、 というのがアインシュテルング効果
Reflection is the engine of growth in all areas of our life.
振り返り自体がエンジンになるイメージが湧きませんが、近いものなら、良い体験をした後はブログを書きたくなるのと似ているでしょうか。
アドボカシーについて
前にどこかでどこかで書きましたが、教えるということをして、一番元気になるのは、教える人です。子供だけでなく大人もよく観察してみると、「教える」という動作は、コンテンツを受け渡すことを引き換えに、主体者が受動者からエネルギーを分けてもらう活動と捉えたほうがいい。(その例外は、赤ちゃん? 赤ちゃんのパワーは無限大なので。赤ちゃんを教えると、大人は元気をもらえます。)
それ踏まえると、「教える」というアドボカシーそれ自体が、教師を擁護している、元気づけていることになりかねない。
More Than a Mirror: The Purpose and Power of Reflection
リフレックティブな教室は、マリネのよう。
リフレクションによって、時間をかけて、揉み込まれて、熟成されていく
students are fully engaged in the process of making meaning, They organize instruction so that students are the producers, not just the consumers, of knowledge” (2009, 222). Reflection is a critical aspect of constructing understanding, exploring why and when and how things work or don’t work ensures children are active and agential problem solvers. Teaching is always more than imparting information, it is a way to transmit a way of being in the world: curious, reflective, and active.
「教える」とは、情報を分け与える以上のことであり、世界の中にあるという方法を興味深く、リフレクティブに、アクティブに、変えていく方法である。
教えるという言葉を、拡張していますね。
興味を高めて、内省を高めて、活発にするということが教えるということ。
ガガーンです。
学習の価値、学習の目的が、指導要領、現場の感覚、保護者の感覚、塾の感覚、教育産業の感覚で違って当たり前なのですが、それをむりやり一つのものにしようとしてしまっているように感じます。
Failure Redefined: Risk Is the Birthplace of Innovation I have not failed, I’ve just found 10,000 ways that won’t work.
-THOMAS EDISON, as quoted in The Rise, by Sarah Lewis
かっこいい!!
失敗の再定義:リスクは失敗することがないというイノベーションが生まれる場所である。ただ、うまくいかない1万通りの方法を見つけたというだけ。
“we underestimate our resilience” (Schwalbe 2013, 189-90). Failure, as it is often defined, does not hurt us nearly as much as fear of failure might. While we learn from reflecting on our failures, the fear of failure means we never try in the first place, and without that, how can the children we teach outgrow themselves?
私達は子どもたちのレジリエンスを過小評価している。
失敗することなしに、誰もが挑戦したことのない挑戦をすることはできない。
過小評価というよりも、子どもたちを信頼していないのかもしれません。
As teachers, we want to help children fail successfully.
上手に失敗することを助ける
小さな失敗体験が、成長のチャンスですね。僕は先輩にこれを教わったことがあります。
効率よくたくさんをカバーして正解を得るには、失敗は邪魔者としか捉えられないので、失敗する機会など提供できようはずもなりません。時間の無駄なので。これも、考えることを結果的に排除することになってしまう。下の引用につながります。
“By engaging in risky play, children are effectively subjecting themselves to a form of exposure therapy, in which they force themselves to do the thing they’re afraid of in order to overcome their fear. But if they never go through that process, the fear can turn into a phobia. Paradoxically, Sandseter writes, four fear of children being harmed,’ mostly in minor ways, ‘may result in more fearful children and increased levels of psychopathology.'” (Rosin 2014). Allowing children space to explore safely, in both free play and learning, helps children learn that risk is the birthplace of potential. This is true for adults too. The Mayo Clinic created an award called the preclude medical breakthroughs”
このあたりは、「遊びが学びにかかせないわけ」につながりますね。大人が子どもをコントロールしすぎているので、子どもは健全な成長ができないでいる
Risk, failure, and reflection are three legs of a tripod; without any one of the elements, the tripod falls.
「支援」という名のもとに、子どもたちの成長のチャンスを奪っているという捉え直しはするべきですね。
見てくれの良い授業は、だいたいそういう構造です。一見さんの参観者が見て、授業の構造が整理できている学習というのは、つまりはよく整った一斉授業です。子どもたちが、自分でリスクをとって、失敗して、振り返っていれば、教室の中は一斉授業のように中央集権的ではなく分散化されて、一見さんには訳がわからないはずですから。でも、子どもの内面では確実にリスク・失敗・振り返りが起きて、成長している。それを見極められるのがプロの教師であるはずなのに、最近の教師は目が素人化してきていて、学びの本質を見極められないように感じます。教師自身が、失敗を恐れている。むしろ、一見さんの素人によく思われたいがために、整った授業ばかりやっているように思えます。
When Persistence Alone Isn’t Enough: Window into Second Grade
カタパルト(パチンコ?投石機?積み木を利用しての投石機?)づくりがうまくいかない、サミラとアレックス。ジェフ先生は、二人の振り返りをみんなでやろうと投げかけます。
他の子達も、カタパルトが崩れ落ちることに、同意している「Me, too」
サミラは説明がうまくなくて、うまく伝えられない。
けれど、みんなの前で説明する中で、なぜ我慢強くやるがうまく働かないのかを自分の言葉で解き明かしていく
聞いている子どもたちは、先生のインストラクションをもとに近くの子とシェアしながら、自分事のように内省を深めていく。アングリーバードのゲーム?を例に説明をする子が出てくる。スケートボードの技で説明をしようとする子が出てくる
When we are being persistent and it’s just not working, sometimes we need to be flexible and try something different. We can ask for advice, or study what is happening and try to fix it, but just doing the same thing again and again often leads us to frustration. We have to find what is not working and learn from it.
つまり、ジェフ先生はこれがいいたい。
Moving from Idea to Action
Those who do not study history are doomed to repeat it; an unexamined life is not a life worth living, look back to look forward.
繰り返さないために歴史を学ぶ
前を見るために振り返る
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