ワンダーが画期的なわけ
もう一つのワンダーのジュリアン編を読みました。
読んでよかった。僕の中でジュリアンが救われました。
そして、ワンダーの意味の輪郭が、これですごくはっきりしたと思います。
ワンダーは、顔に障害をもつオーガストが主人公として書かれていますが、実は、この物語の本質は、オーガストのまわりいる家族や友達が、自分自身の中で、障害をもつ大切な友達や、偏見の心を持っている自分自身を、受け入れて自分のものにしていくお話なのだと思います。
本質から言うと、つまり、偏見をもったり、障害をもつ人に恐怖心をもったりしていることが、誰にもあるあたり前のこととして描かれ、それを前提にしてストーリーが始まっている。そして、それと向き合って、受け入れて、自分のものにしていくオーガストの友達の成長プロセスが、いきいきと描かれている。
そして、友達が障害をもつという事実を受け入れることは、人それぞれ固有の道を辿るもので、オーガストを一人の人として捉えるまでの多様な道筋を、それぞれが主人公となる章で描いているのです。
これまでにない画期的な本です。
ジュリアンだって、悪い人間ではない
「もうひとつのワンダー」のイントロダクションで書かれていますが、多くの読者がジュリアンを悪い子という視点で読んでしまっていることを契機に、この「もうひとつのワンダー」が生まれたそうです。
僕自身も、ジュリアンを悪者として読んでしまっていました。ここに描かれていないストーリーを知ることなく、氷山モデルの海面から見えている一角で、ジュリアンを判断してしまっていたことになります。
けれど、ジュリアンはジュリアンで、悪夢、家族、先生たちとの関係、いろいろなことに葛藤をしながら、最後は、おばあちゃんとの対話の中で、自分の中の偏見や弱さと向き合っていく。それが、ジュリアンの成長のストーリーであって、ジュリアン固有の障害との向き合い方だったのだと思います。
ジュリアンが「障害をもつ友達と仲よくしよう」と言われたって、きっとそれは受け入れられないはずです。ジュリアンは家族思いの子どもですし、お母さんやお父さんの面目を気にするはず。トゥシュマン校長先生にも、あの状況では心を開けなかったように思います。
ジュリアンにスポットライトがあたって、本当に良かった。そして、おばあちゃんの話も、ジュリアンの成長プロセスと重なって、とてもよかったです。
子ども、一人ひとりは固有の物語をもつ。
それがナラティブ。
オーガストはもちろん、ジャックも、サマーも、お姉さんのヴィアだって、ミランダだって、物語をもっていて、それぞれの方法、それぞれの学び方で、自分とは異なる友達を自分のなかに受け入れようとがんばっています。
そして、ジュリアンも。
その子達に対して先生はどうあるべきか。それが、子どもたちの中のナラティブにアプローチするということ。
日本で公開されるということ
この本が出版されるということは、日本が社会として成熟してきた証なのだと思っています。
自分の中に偏見があることを前提として、それと向き合っていく過程を描いたワンダーという本は、これまで「偏見は悪だ、差別は絶対に行けない」と価値観を上から押し付けてきたアプローチとは、異なるアプローチです。
これまでよくあった、障害をもつ子どもが主人公のかわいそうな話や苦節を乗り越える話ではなく、普通のオーガストがいきいきと活躍し、友達が普通の仲間として受け入れていく、長いプロセスの話。
おそらく、出版にもいろいろな物議があったのだと想像しています。それを乗り越えて、これを出版してくれたほるぷ出版は素晴らしいです。
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