一緒にオロオロする本 『〈叱る依存〉がとまらない』

大人のための読書記録

『〈叱る依存〉がとまらない』

村中直人さんです。臨床心理士、公認心理師で、一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事をされているそうです。

説教は快楽?

SEKAI NO OWARI の『Habit』という曲の一部です
大人の俺が言っちゃいけない事言っちゃうけど 説教するってぶっちゃけ快楽

うちの子どもがこの曲をよく聴いていて、「いや、説教するのもエネルギー使って大変だよ」と答えていましたが、この本を読んで自問自答すると、快楽と言われても過言ではないような気もします。

僕のこれまでの会話の中でも、

「今の親は叱れないから、子どもが我慢できなくなっている」

「あの先生は、指導する(叱る)場面を見過ごしてしまうから、うまくいかない」

こんな言葉を聴いてきました。間違いではないだろうと思っていましたし、僕自身もやっぱり「叱る」という行為を必要不可欠なものとして考えている面もあると思います。

歯止めが効かなくなり、「叱る依存」になる

けれど、この本で著者は、「叱る」が危機介入としては一定の効果があるものの、相手の行動を変容させることには効果がないどころか、相手が学習性無力感の状態になってしまったり、指導者の方が依存症のような状態になってしまうこともあるということなのです。

「叱る」は、指導者が思い描くあるべき姿へと相手の行動を変容させようとする行為です。しかし、叱られる人(例えば子ども)は、自分の行動を指導者が望む姿へとなろうとするのではなく、その危機的状況を逃れようとするために行動をします(例えば、一時的に望む姿を指導者に見せる)。指導者にとっては、それがプラスのフィードバックになり快楽を得ます(自分の指導で子どもが成長した)。子どもにとって、叱られた行動は何かの報酬があったわけですから、再びその行動を繰り返します。するとまた、強い叱責を受け、指導者はそれでまた快楽を得る。しかし、それが繰り返されると、子どもは指導者の叱責に馴れ、教師はより強い刺激を求めてしまい、叱責は一段と激しくなっていきます。行き着く先は、子どもの権利の蹂躙、暴力、虐待、歯止めが効かなくなっていくでしょう。

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「叱る」は誰のため?

一言で言えば、「叱る」は指導者の心の安定のために指導者自身が起こしている行動ということです。相手のため、というよりも、自分の不安定さを発散したり、自分が優位に立って相手を従えている快楽を享受するために、指導者の立場の人が本能的に行ってしまっている行動というわけです。

「叱る」依存は、自分も同僚も、気づかない

「叱る」依存は、表出化されることがあまりありません。誰も声を上げない。なぜでしょう。

「トラウマティック・ボンディング」という状態があります。被害者が加害者に精神的に依存してしまい、「正解」を持っている加害者の意向を常に気にしてしまうようになる状態です。被害者が加害者から離れられなくなってしまいます。学校でいえば、子どもたち自身が、加害者である先生を求めてしまうような状態です。スポーツの場面でも、家庭内暴力などの場面でも、よく聞く言葉になります。

また、「叱る」という行為自体が、社会的に認められてもいます。自分はあの先生にしっかり叱られたおかげで、こんなに成長できたという美談も語られます。しっかり指導してくれる先生が、社会的にも求められていることもあります。

「叱る」依存は、こういった理由で、自分でも気づきにくいですし、同僚も分からない、被害者からも被害の声が出にくいという構造があります。

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どうやって先生は、自分の身を守ればいいのだろう?

おそらく、先生の言う仕事柄の人は、このようなことは折に触れて考えていることだと思います。けれど、本音のところは、「叱る」をしないと、自分自身を守れないということも言えるのではないでしょうか。

自分が進めなくてはならない学習や行事、それでも動かない子ども、動かないどころか放っておくと相手を傷つけあってしまいます。子どもの中には、教師を傷つけることで承認欲求を満たそうとする子もいるでしょう。先輩先生からはプレッシャーを受け、後輩先生はうまくやっている(ように見える)。保護者の期待も地域の期待も重荷です。学級にいる時間のほとんど、大人という存在は自分しかおらず孤立無縁。そういった環境の中で、「叱る」という悪魔の実の味に心奪われてしまう現場の先生は、僕自身も含めて多くいるように思います。「叱る」をしないで、どうやって自分を守れと言うのでしょうか?と、嘆きたくなるでしょう。

もう、この本は読みたくない!となるかもしれません。

medieval soldiers spears armour 1125807

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一緒にオロオロする

だからこそ、この本を読んで、仲間と一緒に考えて欲しいと思います。

私たち先生は、「叱る」という悪魔の実を、常に目の前にぶら下げられながら仕事をしているのかもしれません。そして、本当に悪魔のようになってしまう人も現実にいるでしょう。悪魔の実を食べないまま、子どもの言葉に傷つく先生もいます。一方でそんなことをお構いなしに、すごくうまくやってのける先生もいて、自分なぜ教師になったのかと自問する人も多いでしょう。

自分は、子どもの立場でも考え、悪魔の実を食べた先生と同じ風景を見て、どうしていいか分からないでオロオロすることを、みんなでできればいいと思っています。僕が幸運にもここまでやれてこれたのは、仲間の先生と一緒にオロオロして、進めてこれたからです。激しく叱って、後悔して、時には子どもの前で謝り、その訳わからない感じを一緒にオロオロしてくれる仲間がいたからだと思います。弱さを出せたからからかなあと。

『教室マルトリートメント』もそうでしたが、こういう本を読むと、自分のこれまでを否定されたような気持ちになるかもしれません。そうやって生き抜くしか方法がなかったと、思うことさえあります。でも、こういう本を囲んで、みんなで痛みを分け合いながら、今の自分と向き合っていく作業をすることが、自分を一つ前に進めていく力になるような気がしています。そして、自分たちは一人じゃないよね、とちょっと笑い合えれば、とても良い会になるんじゃないかなあ。

『〈叱る依存〉がとまらない』を、昔を思い出しながら、誰かと読み合いたいと思います。

Smiley Emoticon Anger Angry - AbsolutVision / Pixabay

AbsolutVision / Pixabay

 

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