『ジェネレーター』(学事出版) 主体者性は分け合うものか?

大人のための読書記録

4月1日の大人のブッククラブは、市川力さんと井庭崇さんの『ジェネレーター』(学事出版)でした。

ゲストに市川力さんをお招きし、結果的には、一人一人の解釈と読みに、丁寧にコメントをくださった形となりました。

市川力さんは、東京コミュニティスクールの校長先生だった方です。下の本にも、僕は大きく影響を受けました。特に『社会科ワークショップ』の学習イメージには、この本に書かれている姿に影響を受けていると思います。こちらの本も大変おすすめです。

振り返って読むと、ジェネレーターを批判しているようにも受け取れてしまうのですが、そういった意図は全くありません。僕個人の経験が、本の解釈に影響を及ぼしています。僕自身も、読書家の時間や社会科ワークショップの指導者としては、とてもジェネレーターだと思います。でも、まだまだ大人との関係の中で、ジェネレーターではない部分を感じます。自分を省みる一つの観点になっていると思います。

下の映画にも、僕は申し込みました。もともと、食糧生産とか、菌とか、興味のある分野です。

映画「君の根は。」上映会&辻信一氏 市川力氏 対談会 | 逗子文化プラザホール
逗子文化プラザホールは、大ホール、小ホールのほか、ギャラリー、練習室を備え、広く市民の活動をサポートする文化施設です。

こちらの記事も市川さんのお人柄が分かり、参考になります。

物事を「概念」で捉えることから探究が始まる。 探究学習の生みの親・市川力さんが提唱する「ジェネレーター」とは?  | NewsPicks Education MAGAZINE
今の日本の教育を語る上で外せない、「探究」という言葉。日本にまだ探究という概念が浸透していない2009年に著書『探究する力』を出版し、日本における探究学習の生みの親として注目されているのが市川力さんである。探究型の学びを行う東京コミュニティ...

ブッククラブの中立性

前回もゲストで青山新吾さんをお呼びしてのブッククラブ。(これもブログ書けていなくて勿体無い…。)贅沢ながらも、著者を呼ぶとブッククラブが目指す中立性は大丈夫かなと心配になることもありますが、今回もお呼びして良かったと思いました。著者の人柄を知ると、本の行間がまた深まるなあと。これも本が持つ本来の性質とは違うことになりますが、結果深まるので、まあいいでしょう。でも、心の片隅に、ブッククラブが持つ中立性については、留めておかないといけません。

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ジェネレーターって、オレオレ?

まずは、ジェネレーターという概念。最初は懐疑的に捉えていました。

僕自身の経験として、研修とかワークショップと銘打って、ファシリテーターと呼ばれるその人は良かれと思って中心に立ってご機嫌に回しているというのを何度か経験したことがあります。完全に場が参加者になく、その人自身が持っていってしまっている状況です。おそらく善意でやってくださっていることは重々承知なのですが、参加者を「変えてやろう」という雰囲気が出ていたり、あまり綿密に準備をしていなかったりするのが目について、これはYouTubeで拝見するぐらいが丁度いいという印象になります。

Challenge By Choiceという考え方がありますが、上に挙げたような方が行う研修というのは、もう「絶対に逃さないぞ」とか「お前を変えてやる」みたいな圧力をすごく感じることがあります。「ひえー逃げられないー」みたいな。僕はそういうのが、怖いと感じることがあります。

ジェネレーターの概念に、自分のそういう体験が重なって、すごい圧を感じてしまう雰囲気を受け取ってしまったから、懐疑的になったのだと思います。

「主体者性」は分け合うものか

僕は、「主体者性」「オウナーシップ」「エイジェンシー」みたいな言葉は、分け合うものなのではないかと考えています。(ジェネレーターシップと出会って、ちょっとぐらついていますが)つまり、無限に湧き出るものではなく、量が限定されている。よく見るのが、子どもたちの4人グループで、2人か3人はすごく活発に動いているのに、1人は空気をどうしても読んでしまうタイプで、力があるにも関わらず、なかなか言い出せないのか、遠慮して出てこないタイプの子。「主体者性を持ち合う」感じではない。僕自身がそういう子だったのかもしれませんが。

場によって、「主体者性」の総量は変わってくるとは思うのですが、コミュニケーションや圧力が強い人が、それを独り占めにして、学びの主導権を握ってしまうのは、どうなのかなあと。

加えて、指導者がジェネレーターになれるということは、僕は、それを支えてくれている構成メンバーや環境からの支援が多分にあって、ジェネレーター型指導者の一部はそれを全く気づいていないで、有能感を振りかざしてしまい、気づかないうちに、本来ジェネレーターシップに溢れる構成メンバーの「主体者性」を奪ってしまっている状況をイメージしてしまったのだと思います。よくできる先輩が、後輩の仕事まで全部やっちゃう系です。

あと、ジェネレーター型指導者は、時間的に長期のスパンを持っていないと、しんどいのかなとも思います。本の中の事例も、市川さんの教室であったり、ゼミ生であったり、時間的にも余裕がある。スロースターターの子どもたちを巻き込んでいく時間的余裕もあるのかなと思いました。

この本の中に、イメージが追いつかない「言葉遊び」が多いのも影響したかもしれません。

 

市川さんと出会って

そんな僕の読みの状況で、市川さんと出会って、どうなったかというと、まず最初に、すごく元気をもらえました。年度末で疲れ切っていた僕の充電残量も、割と回復できました。それは、「僕は認められた」と感じたからだと思います。ジェネレーターシップは、人を元気にするのだなあと。

僕の好きな言葉に、「上機嫌は意志の力、不機嫌は感情の力」というのがあるのですが、市川さんはニコニコしているし、参加者の「上機嫌でも不機嫌でもない自然な状態」を変えてやろうという圧力を感じることもないし、他者に接近しすぎる感じもなかったのが、安心したのだと思います。

あとは、市川さんは、いろいろなところに気を配っている方なのだなと。「関係に左右されない」と言いながらも、オレオレではなくて、参加者の言葉をうまく使ったり、これまでの話の流れを大切にしてくださるような話し方もあり、これも僕には安心できました。

大きかったのは、みんなの話し合いの中で、「ヴァルネラビリティ」について言及があったからです。鉄壁の強さを見せるばかりではなく、頑張っている中で、自分の弱さを見せてくれること、迷って困惑している姿を共有してくれることが、僕の中ではその人の「人間性」や「強さ」に惹かれる瞬間にもなります。

僕の捉えの中で、ジェネレーターは、オレオレで「こっちの世界に飛び込んで来い」的な体育会系リーダーを勝手に想像してしまっていたのかもしれません。意図的に他者への感度を下げて、自分の主体者性を守ろうとする人を想像していたのだと思います。

市川さんを「この人はジェネレーター」と色眼鏡をかけた状態で出会ってしまうと、誤った方向にいってしまうようにも思いました。そういうものを前提に人を見てしまうので、何か期待というか甘えというか、フラットに人を見られなくなるようにも思います。「オレオレジェネレーター」という僕の経験が作り出したイメージを脇に追いやってくれたので、今回は市川さんという人の人間性に助けられたという気持ちがしています。

ジェネレーターシップは健康

トマが、一日の終わりに大好きな文房具を眺めたり、どれを使って日記を書くかを考えて「ニヤける」時間があるという話題になり、それを受けて、市川さんが、それがジェネレーターシップの余裕の面を作っていくし、健康的である話してくれました。

「ジェネレーターシップは、健康」というのは、僕にとってはしっくりきています。心の健康。

それと同時に、みんながジェネレーターにはなりきれなくて、人の「オレオレジェネレーター」に侵食されて、心の健康を脅かされているような現実もあるように思います。ジェネレーターシップと相手へのケアの両方(ジェネレーターという概念が「相手に関心を寄せる」という意味をしっかり含んでいるので、分けると語弊があるとは思うのですが、あえて「両方」と書こうかと思います。)を大切にしていけたらと思います。自分の心の状態をメタ的に感じる一つの角度として、ジェネレーターという考え方はおもしろいと思いました。

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市川さんと出会って、ジェネレーターの概念は深まりました。

一方で、ジェネレーターを読み進めるにあたり、自分の体験との葛藤、今の自分の状況との葛藤、指導者としての自己イメージとの葛藤がありました。それは、これからの自分への糧となると思います。ジェネレーターという価値をしっかり持っておこうと思っています。

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