ライティング・ワークショップは進む

ライティング・ワークショップ

 今年度初の、ライティング・ワークショップの出版をしました。子どもたちは、社会科や国語で書いてきた作品を出版する子もいれば、この4・5月号のために書き下ろした子もいます。どれも力作ぞろいで、ざっと目を通しただけでも、子どもたちの個性が溢れ出ていることがよくわかります。これからじっくり読んで、子どもたちにファンレターを書いてあげることが楽しみです。
 もうライティング・ワークショップを始めてから、7年ほどになります。早いなあ。色々形を変えて、今の形に落ち着きつつあります。自分の印刷技術もどんどん早くなり、昔は印刷するだけでも1日がかりでしたが、今では、いろいろな付録もつけて、3・4時間で終わるようになりました。おそらく、付録をつけなければ、2時間以内に終わります。
 いつも、自分も出版するようにしています。子どもたちに「書くことは楽しいぞ」といっておきながら、自分は何にも出版しないのは嘘を付いているようだからです。教師も楽しむということが、子どもたちが楽しんで学ぶための、大切な環境の一つになります。
 実はこれが印刷と同じくらい時間がかかります。今の子どもたちに伝えたいテーマを選び、書いてみて、それを修正校正し、印刷するのは、ライティング・ワークショップのサイクルと同じなので、1作品作るのにも、最低それくらいはかかってしまいます。
 けれど、今のクラスの子どもたちに伝えたことは何かなあと、イメージをふくらませながら、その子たちに伝わるように書くというのは面白いものです。わたしたち教師は、常に読み手があると思うと、書くことを楽しむには、これほど素晴らしい環境はないのかもしれません。
 もう、わたしのクラスには、過去に出版された冊子が山ほどあります。アクセルがかかって来た3・4年前ぐらいから、数えると、30種以上は出版していると思います。いやいや、よくやってきたものだと自分を褒めたくなります。
この、子どもたちが書いてきたものが、教科書と同じかそれ以上に、大切なテキストになります。この文書の何がいいのか、どんな改善点があるのかを、教えていきます。また、子どもたちの個性を捉える一つの側面にもなります。子どもたちは、文章を生み出すということを通して、いろいろな人に子どもたち自身の内面を教えてくれるのです。
新し子どもの側面を見られる楽しさを、ライティング・ワークショップは与えてくれます。こうして、作家の教室は進んでいくのです。
(読書の教室も似たような感じで進んでいきます)


急いでやらなくてもいいけれど、じぶんにとって大切なこと

 「時間は自分で作るものだよ。」
 わたしはいつもみなさんに、そう伝えます。けれど、「言うは易く、行うは難し」です。小学生のみなさんは苦労するのは当たり前で、わたしやみなさんの家族の方々も、これにはほとほと苦労しているのです。
 ついつい見たくもない番組をぼうっと見てしまって、1時間が過ぎてしまう。
 あまり気乗りのしない仕事をだらだらと長い時間をかけてやってしまう。
 毎日忙しくて、自分の本当にやりたいことに時間がかけられない。
 今日は、時間と仕事(やること)について、考えてみたいと思います。
 ※1『7つの習慣』という本によると、仕事(みなさんで言えば「やること」)には4つの種類があるそうです。
       急いでやらなければならない、自分にとって大切なこと
       急いでやらなければならないけれど、自分にとっては大切ではないこと
       急いでやらなくてもいいけれど、じぶんにとって大切なこと
       急がなくてもよいし、自分にとっては大切ではないこと
 わたしの場合を考えてみます。
 ①は、あおいちゃんのお世話や来週の授業の計画などでしょう。これは絶対にやらなければなりませんし、自分にとって大切なことなので、やる気がないということはありません。
 ②は、たくさんあります。どうしてこれが学校の先生の仕事なのだろうと思ういろいろな書類や仕事は山ほどあります。これは、締め切りが決まっているので急いでやらなければなりませんが、あまりやる気は起こりません。
 ③は、みなさんが学びやすい学習環境を作るために、本を読んだり、勉強会に出席したりすることでしょう。家庭ならば、あおいちゃんと公園や図書館に行くことは、緊急ではありませんが、自分にとっては大切なことです。ジョギングで、体力をつけることもこれに当たります。
 ④は、あまり思い浮かびません。④のようなものは、やらないからです。けれど、ぼんやりテレビを見てしまって後悔することはあります。簡単にいえば、暇つぶしです。
 さて、あなたはどの仕事(やること)にいちばん時間をかけているでしょうか。それはもちろん、①でしょう。緊急で大切ならば、時間をかけなければなりません。二番目はどうですか。おそらく、②でしょう。わたしもそうです。大切ではないですが、緊急なのですぐにやらなければなりません。あまり楽しくないこともたくさんありますが、仕方ありません。④に時間を使うと、気づいた時にため息が出るのは、わたしもみなさんも一緒でしょう。反省です。
 ③はどうでしょう。わたしもついつい忙しいと、③が減ってしまいます。じっくりと本を読んで自分の教養を高めることは、これからの自分にとって大切であることは知っているのですが、忙しいと後回しになってしまいます。あおいちゃんと公園へ行って遊ぶのは、家族の時間としてとても大切なのは分かってはいるのですが、①や②に時間を取られて、おろそかになってしまうことがあります。
 けれど、考えてみてください。③はこれからの自分の人生をもっともっと充実したものにします。本を読んだり博物館に行ったりすると、知識や興味がどんどん広がります。今すぐには役に立たないかもしれませんが、10年後、20年後に、もっとかっこいい大人になれているかもしれません。そして、いろいろなものに興味をもてるので、生きることがもっと楽しくなるでしょう。例えば、もっと歴史について知りたくなるでしょうし、例えば、もっと英語が上手に使えるようになりたいと、挑戦したいことも増えるでしょう。
 家族との時間など、ほぼ説明は要らないでしょう。わたしは、仕事は忙しいですが、将来的には、家族は死ぬまでわたしと一緒なのです。そんな大切な家族との時間は、急がないけれど、大切な時間です。
 それなのに、③にあまり時間をつかうことができない生き方で本当によいのでしょうか。と、わたしは、自分自身にも、そして、みなさんにも問いたいのです。
 わたしはみなさんがうらやましいのです。なぜなら、みなさんは今、③のことにたくさんの時間をかけることができます。好きなスポーツに打ち込もう。好きな本を読もう。好きな事を調べてみよう。気のおけない仲間と語り合おう。とことん自分の選んだことをやってみよう。わたしのように(そして多くの大人のように)、①はともかく、②に多くの時間を使わなければならないことが多くあります。大人になれば、それはある程度はしかたのないことなのです。今のみなさんならば、③に時間と気力をとことんつぎ込むことができるでしょう。
 そして、③の時間をどうやって使うかによって、みなさんのこれからの生き方が、とても充実したものになるか、それとも何にも興味をもてないあまりかっこよくない大人になるのか、少なからず影響をあたえるのです。
 自立ノートも、ジャーナルも、読書・作家ノートも、すべて③の時間を充実したものにするためにあります。自分の学び方や考え方、生き方を振り返るためにあるからです。
 今のみなさんは、③の時間をすばらしいものにするために、とことん考えるべきです。自分で選択して自分で行動するのです。「今でしょ!」です。
 では、どうしても②の時間が多くなってしまうわたしは、諦めているのでしょうか。ただただ、③について考えることもなく、②のために、がむしゃらに動いているのでしょうか。
 答えはNOです。いかに、③の時間を生み出すかについて、日々考えています。毎日、③のために、時間を確保しています。そして、時間の使い方や仕事の仕方を工夫して、②が③に変化するように考えているわけです。
※1

『7つの習慣』(スティーブン・R.コヴィー)は持っているのですが、実は読んでいません。積読(積んであるだけで読んだつもりになっていること)になっています。この本はみなさんには少し難しいですが、それでも読んでみたい人は貸します。有名な本なので、おうちの人が持っているかもしれません。この本の子ども用(『7つの習慣 ティーンズ』があることが分かりましたので、わたしが手に入れたら、興味のある人に貸します。お楽しみに。

コメント

  1. 吉沢郁生 より:

    「子どもたちが書いてきたものが、教科書と同じかそれ以上に、大切なテキストになります。」という部分、私はこのように発想したことがなかったので、ハッとさせられました。子どもの書いたものは大事だと口では言いながら、心のどこかでやはり教科書の方が一段上に存在するもの、というふうにとらえていたと思います。何のためのテキストなのか。それは「この文書の何がいいのか、どんな改善点があるのかを、教えていきます。また、子どもたちの個性を捉える一つの側面にもなります。・・(中略)・・いろいろな人に子どもたち自身の内面を教えてくれるのです。」とあります。ああ、そうなのか。子どもを捉える、子どもの内面を理解するということが教師の第一の仕事なのだということを、私は忘れていました。それを教えていただいた文章でした。ありがとうございます。

  2. 冨田明広 より:

     こちらも古い記事にアクセスしていただき、ありがたいです。
     僕自身も、究極のところ、子どもの作品を教科書のように日常的に用いて、ミニレッスンを進めていくようなところまでには、至っていません。やはり、横並び教科書をはじめとする完全に無視することは、学校経営上難しいですし、僕自身も教科書の呪縛に囚われていると思います。
     けれど、価値のある文章は作品の中にたくさん転がっているなあと感じることが多くあり、取り上げられた子もそれで学ぶ子も幸せになれるのではないかと、常日頃考えています。
     読書家や社会科のワークショップでも、同じような実践をしています。

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