ブッククラブというライフワーク

リーディング・ワークショップ
「ブッククラブというライフワーク」が「社会教育アワード」にノミネート
雑誌「社会教育」の2021年11月号に記事を書いたのですが、その「ブッククラブというライフワーク」が、1年間で最もよかった記事を選ぶ「社会教育アワード」にノミネートされています!!自分でも、驚きです。小学校の時に苦手だったものは、鉄棒と裁縫...

ブッククラブとは

 速読、精読、並行読書、重ね読み、芋づる式、三色ボールペン、耳読、積読、ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ)など、本の読み方は巷に溢れていますが、「ブッククラブ」という本の読み方があるのをご存知でしょうか。一つの本をみんなで読み合い、意見を重ねていくというシンプルな方法で、言うまでもなく昔から同じような学習方法は行われてきました。それを、ちょっと小気味よく言い換えたのが「ブッククラブ」です。「読書会」や「読書座談会」とは違って、「ブッククラブ」はより勉強っぽさを抑え、趣味っぽさやエンターテイメント感覚、コミュニケーションを重視しているように思います。

 簡単に言えば、「読書会」や「読書座談会」などは、先生や教授のような年長者や権威者が、学習者の学習しやすいように構造化したり、到達すべきゴールを設定したりしていることに対し、ブッククラブは、参加者の誰もが対等な立場で向き合い、その本から感じたことや本から引き出された自分なりの意味を共有しながら、一人の人として価値観を尊重される読み方です。

自己紹介

 私は、仕事場である小学校でも、先生たちが集う自己研鑽の場でも、ブッククラブを活用して本を読むという活動を楽しんできました。小学校での実践から、読書を通して自立的な学習者の育成を目指す『読書家の時間』という学び方をまとめ、2014年に同名の本を新評論より出版しました。そして、その学び方を応用して社会科の学習を行った『社会科ワークショップ』を2021年に上梓し、その実践がまとめられています。

 小学校での実践を少し紹介したあと、それと重ねて大人のブッククラブで感じられる読書の価値や、コロナ禍で促進されているオンライン・ブッククラブの新しい魅力などを紹介していきたいと思います。

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小学生にブッククラブを

 4年生にもなると、大人と同じように本を読むことを楽しむことができる子が増えてきます。比較して考えたり、書かれていない事を想像して読むことができるようになってくる10歳頃の子どもたちの瑞々しい好奇心は、私たち教師の心をも弾ませてくれました。

 4人のグループが『二分間の冒険』を同じペースで読み進めています。2週間に一回程度の頻度でブッククラブの時間を設定してあげると、「その日までに、〇〇ページまで読んでこようね!」と、友達と楽しそうに計画を立てます。また、こちらのグループは『竜退治の騎士になる方法』という魅力的なタイトルに惹かれたようです。表紙を見ながら、どんな話かを予想し合っています。どちらのグループも、これからの物語に心躍る自分を想像したり、本を通じて友達ともっと仲良くなるイメージをもったりして、ワクワク感が溢れてくるようです。まるで、楽しみにしていた映画を待つチケット売り場の子どもたちようです。まったく勉強臭さを感じません。

 本は教師が用意してきたリストから選びますが、子どもたちは慣れてくると、「この本でやりたいから、ちゃんとグループの人数分の本を揃えて」と、教師に提案してきます。読書が苦手な子もいるので、それも勘案してグループで相談してブッククラブまでに読む量を決めます。もちろん、その日までに読めない忙しかった子もいるので、あらすじを確認してからブッククラブを始めます。話の内容は、「一番確かなものである「ダレカ」は誰なのか」とか、「うちのクラスだったら、主人公は〇〇に似ている」とか、話題は多様に富んでいます。

 一般的な国語の授業だと、本の内容から逸脱するような話は教師の問い方や子どもたちの暗黙の了解により制限されてしまうことが多いですが、ブッククラブに慣れてくると、子どもたちは本の内容から飛び出して自分自身のことや身の回りのことへと話がどんどん広がっていきます。そこは私もできる限り制限せずに、本をきっかけとして生まれた話題や引き出されたその子のエピソードなどを尊重し、良いものはブッククラブの後に紹介して、良いブッククラブのモデルとして紹介しています。また、様子を見ていると、また本の内容に戻ってきたりして、子どもたちといえど、手元にある本をしっかり意識してくれているようです。

 『読書家の時間』でブッククラブなどのたくさんの読書経験を積んだ子どもたちは、本を通じて友達とつながるという楽しさを味わいます。友達がおもしろいと言った本を自分も読むことを通して、その子ともっと仲良くなりたいと思い、自分自身も好きな本を紹介することで、「〇〇という本が好きな自分」といったアイデンティティーを友達に理解してもらおうとします。野球が好きな子は野球の練習方法の本を紹介したり、お洒落が好きな子はファッション雑誌を紹介したりします。好きなアーティストを伝え合うように、「どんな本が好きか」が自分自身の一部になっていくのです。

 古くから言われている優れた教育環境を表す言葉に、「三つの間」と言うものがあります。それは、時間、空間、仲間です。読む時間を確保し、本のある空間(教室)を作り、本でつながる仲間を育てることが、読書を生活の一部とする子どもたちを育てることにつながります。決して、教科書を読んでいるだけでは実現できない子どもたちの姿です。

ブッククラブは宿場

 読むことを中心に学級を育てていく『読書家の時間』を実践する以上、私自身も本を読むという旅路に挑戦していかなければなりません。自立した読み手への成長を求めるのであれば、自分自身も読み手として研鑽し、そのモデルを子どもたちに示していきたいと考えるようになりました。それがきっかけで仲間とともに作ったのが、「大人のブッククラブ」という読書コミュニティーです。立ち上げてからかれこれ、10年ぐらいになります。

 ブッククラブの経過とともに、メンバーの家族である子どもたちも成長して、大人のブッククラブに小学生や大学生が参加してくれることがあります。私の小学5年生の子どもも参加することがあります。さまざまな世代が参加して感じることは、ブッククラブはまさに「旅路の中で人と人とが出会う宿場」ということです。

 メンバーの子どもである村松祥和子さんは、フィールドホッケーで日焼けをした活発な大学3年生です。『どうしても頑張れない人たち』でブッククラブをした際に、オンラインで参加してくれました。

「『頑張れない人だから、こういう対応をしなければならない』ではなく、すべての人にこの本書かれているような対応をしなければならない。傾聴は特別なスキルではなく、前提であって、多くの人と信頼関係を結んでいきたい。」と話してくれました。

 保育園でアルバイトをしている村松さんは、日頃から小さい子や専門スキルをもった大人の姿を見てはいるものの、仕事につながる本を通して仲間と話をしたことはなく、もちろん、そのような大人を見たことがなかったので、とても新鮮だったそうです。

 それは、私にとっても同じく新鮮な気持ちでした。小学校教師という色眼鏡から見る「頑張れない人」は、現場の子どもたちであって、どうしても、学級にいる頑張れない子どもたちにどのように関わったら良いかという視点で意見を言います。けれど、村松さんの場合、頑張れない人を自分のすぐそばにもいる身近な人と捉え、特別な対象として見ている私たちに、(ご本人はそうは捉えていないでしょうが)警鐘を鳴らしているようにも聞こえました。

 どんな本を読んでも、子どもや教育学校運営などと重ねて読んでしまうことは、悪い癖です。現場に当てはめられるか、当てはめられないかの杓子定規で考えてしまいます。

「自分とは違う意見を持っている人の感想が聞けて、考えが広がった。おじいちゃんおばあちゃんや、小さな子、いろいろな違う職業の人が参加してくれたら、もっとおもしろいブッククラブになる」

 その言葉の責任を取ってもらうべく、村松さんには、大人のブッククラブに若い世代や異業種の方々をお呼びして頂くことを望んでいますが、その言葉の通り、村松さんという異世代の参加者を迎えることで、本に広がりを生み、私自身の固定観念にも気づくことができたわけです。

 村松さんは、たまたまメンバーであるお母さんが読んでいたこの本に興味を持ち、参加をしてくれました。本がなかったら、出会えなかったことでしょう。そして、村松さんは、現在の保育園のアルバイトの中で、または未来の職業や家庭生活の中で、この本が思い出されるかもしれません。「旅路の中で人と人とが出会う宿場」で、何気なくこぼした言葉が、私の自己への気づきにもなり、村松さん自身の視点の広がりにも繋がったことでしょう。

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本と自分との間に生まれる固有の意味

 ブッククラブに参加すると、国語の授業では重視されがちな「正しい読み」も「優れた読み」も、そんなものは存在しないし、意味のないことであることを感じます。読むこととは、小学生は小学生の立場から、大学生は大学生の立場から、40代は私のようなアラフォーの立場から、自分の中にあるものと本の内容との化学反応であり、唯一無二であり、読み手の中で起こる固有のものなのです。

 それを、さらに参加者と重ねていくことで新しい意味を見つけていくことがブッククラブの魅力です。参加者はそれぞれ私とは違うこれまで学んできたことや体験をもち、その文脈の中で本と自分との間に意味を作り出します。作り出した意味は辿ってきた生き方が違うので、違って当然。しかも、自分では作り出せない視点です。だからこそ、読みを重ねていくことに面白さが出てきます。

 加えて、若いか歳をとっているか、賢いか賢くないかなども関係がなく、自分に持っていない視点や経験から本を読んでいる人の話は、私にとっては新しい見方を学ぶ機会になり、ブッククラブがさらに魅力的になっていきます。

Writing Writer Notes Pen Notebook - StockSnap / Pixabay

StockSnap / Pixabay

 

頭足人を指導する必要があるか?

 うちの子どものように、大人に混じってメンバーの子どもの小学生もブッククラブに参加してくれることがあります。辿々しい話に耳を傾けていると、新鮮な学校の友達とのエピソードを重ねて、昔の自分もそういう感覚を持っていたのかなあと、錆びついた心の歯車に少し潤滑油を入れたような気持ちになります。その読みに優劣や貴賤などないし、むしろ、思春期を忘れた私に子どもの頃の自分を思い出させたわけで、自分では気付けない視点を与えてくれたことになります。そう考えると、読みには、その人の立つステージで味わうべき読み方があるように思います。

 幼い子どもは「頭足人」や「スクリブル」のような、その発達段階で表現される特徴的な描き方があります。低学年だと、画用紙の右から左に真っ直ぐな線を引き、その線を地平線にして家や人を描いて、平面的に表現していきます。また、過去・現在・未来が一枚の絵の中に混在していることもよくあります。

 例えばあなたが教師だった場合、頭足人を描いて楽しんでいる子どもに「それは違う。手や足をよく見て描きましょう」とか、「もっと立体的に描くためには、このように書きます」など手を掴んで指導することは良いことなのでしょうか? むしろ、頭足人を描く発達段階にいる子は、頭足人を描くことを存分に味わって、そして何度も楽しんで描くことを通して、人には首や胴体があるということを発見していくことでしょう。年長者が上位下達に教えることで、その自己への気づきという喜びに満ちたプロセスを奪ってしまうことは、自立的な描き手を育てることとは反対に、描く意欲を奪ってしまう結果につながる可能性があります。

 同じようなことが、読むことにもいえます。低学年の子どもたちの読みをよく観察していると、その場面の気に入った表現や素敵な主人公の活躍などに引き寄せられて、「主人公がどうしてそのような行動をとったのか」などの前後の場面と繋げて考えるような読み方ができていないことがよくあります。しかしそれは、その子がその読みのステージに今立っていて、その読み方を味わって読むことを自分のものとしているプロセスにいるのです。しかし、教師がその子が望んでいないにもかかわらず、何の脈略のないまま複数の場面を関連させて登場人物の心情を読み取らせるような指示的な指導をすることで、その子はその読み方に魅力を感じられないまま教師に読みを強いられ、読むことが嫌いになってしまうということは、かなり頻繁に学校現場であるように思います。

 選書に関しても同様です。低学年の子が『かいけつゾロリ』しか読まないことも、それがその子のステージには必要なことですし、その子から「かいけつゾロリ」を奪い取ってしまったら、きっと読むこと自体からその子は遠ざかってしまうでしょう。

 けれど、その子がそのステージを十分に味わい尽くした時、「ちょっと違う本を読んでみたいな」という瞬間があるのです。また、「どうして主人公は、そんなに頑張って挑戦しなくちゃいけなかったのかな?」と友達に問われることがあるのです。その時のために、「どうしてそんなことをしたと思う?」と対話してみたり、先生や友達の好きな本を紹介し続けたりして、教師がその子の次のステージに上がるタイミングを見極めることが大切になります。今のステージを十分に味わい尽くせた子どもは、頭足人から躍動的に手足を動かす人を描けるように、しっかりと次のステージへと羽ばたいていき、自己を発見する旅路をさらに進んでいくことができるように思います。

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民主的な学習

「正しい読み」も「優れた読み」も存在せず、お互いが自分のステージで精一杯本と向き合い、それを勇気を持って開示できたことを賞賛し、尊重しあって、お互いの意味を重ね合わせていくことが、ブッククラブの価値になります。ブッククラブの参加者に優劣や指導する/されるというヒエラルキーのような上下関係はなく、参加者それぞれが対等な立場に立ち、多様性を大切にした民主的な学習手法なのです。

 私自身も小学生や大学生に学び、違った立場で活躍する人から示唆を得て、一人では到達できない意味を掴めることがあります。そういった意味では、ブッククラブに参加するメンバーは多様な立場の人が集まった方がおもしろいと言えるでしょう。どうしても、大人のブッククラブは教育関係者が集まってしまうので、それはそれで内輪話がおもしろいこともありますが、異業種の方や、学生やリタイアした方などを仲間に加えていければ、もっとおもしろい方向に進むような気がしています。

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オンライン・ブッククラブ

 このような民主的なブッククラブに、オンラインというツールを加えることで、さらにおもしろい読書活動に発展していきます。2つのオンライン・ブッククラブの取り組みを紹介し、その魅力についても私見を述べていこうと思います。

ブッククラブに視聴者が加わる

 2020年にclubhouseという音声SNSが流行しました。大人のブッククラブでも、この新しいアプリを試してみたいということで始まったのが、『ティール組織』という本を数章ずつclubhouseを使ってブッククラブを生配信していくという企画です。ティール組織は600ページに迫るあつい本でなかなか読み進められない量です。そこで、毎週土曜日の朝6時に固定メンバーでclubhouseに集まりその章について少しずつ話をするという運営で行っていきました。

 そのような、配信型のSNSと組み合わせてブッククラブをやってみると、自分の気持ちとしてもいつものブッククラブとは少し違った感じ方があります。少数とはいえ、毎回何人かの方が聞きにきてくれました。つまり、私たちのブッククラブに視聴者の存在が加わったのです。

 小学校でのブッククラブの実践の中に、「金魚鉢」と呼んでいる手法があります。何人かの参加者(金魚鉢の中に入っている金魚)が行うブッククラブをその他の子どもたちが観察する方法で、良い意見はどんな意見か、どんな参加の仕方が友達の意見を引き出すのか、客観的に見て考えるのです。見られる側は緊張しますが、自分の本への語りや視点を披露することができるとともに、終わった後に友達からたくさんのメッセージを書いた付箋をもらうことができるので(これを「ファンレター」と呼びます)、目立つことが好きなタイプの子どもは説得すれば引き受けてくれます。見る側の子どもも、第三者としてブッククラブを観察することができるので、「自分もあんな意見を言いたいなあ」とか、「ああやってしっかり頷くと相手も話しやすいなあ」とか、良い学習コミュニティーとして成長するポイントをメタ認知することができます。

 人によると思うのですが、視聴者が加わると、見られている緊張感が加わって、いつものリラックスしたブッククラブよりも、ちょっとハリのあるブッククラブになるように思います。私たちのブッククラブは、教職に就いている者が多いので、話すのが苦手みたいな人はあまりいませんが、それで視聴者の方が理解できるような語り方になったり、整理して話そうという意識が働いたり、ちょっと背伸びをしたブッククラブになったように思います。相手の顔が見えないことはデメリットですが、動画を使ったSNSを使えばそれも可能です。

 また、もう一つ新たに加わった要素は、こちらの呼びかけに応じて視聴者の方が参加できる、ということです。「これまでの話を聞いて、聞いてくださっている方、どなたか参加してくださいませんか?」と呼びかけると、数名の方が挙手マークを挙げてくれて、何のアポもないまま進んで参加してくくれました。たまたま『ティール組織』を読んでいた人が自分の感想を話してくれたり、読んでいないけれども同じ教職に就いている方で私たちの視点に共感して意見をくれたりと、偶然の出会いからその場でブッククラブに入ってくれたのです。これまでになかった体験でした。その方も、何回か続いたclubhouseブッククラブを続けて聞きにきてくれていた人で、本を通じて人と繋がった瞬間でした。居酒屋でブッククラブをしていたら、隣の席の人が参加してくれたかのような、不思議な感覚を抱きました。

 『ティール組織』のブッククラブの最後は、この本の解説を書いてくださっている嘉村建州さんにも参加していただき、私たちの読みの集積をこの分野の第一人者にぶつけることのできる、とてもエキサイティングなブッククラブになりました。教育という分野で生きる私たちに示唆に富んだ提言を頂き、教育とティールの融合をチャレンジするパワーを頂くことができました。

Seasons Year Tree Nature Autumn - padrefilar / Pixabay

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読むことは、コミュニティーをつくることでも、あり実践することでもある

 もう一つは、オンライン・ツール使いこなし成長する人の紹介です。埼玉県で小学校の先生をしている池谷裕次(いけやひろつぐ)さんです。

 7月に『社会科ワークショップ』という本を出版することができました。池谷さんとは、いろいろな研修会やSNS等で何度か顔を合わせていて、今回、私の書いた本でオンライン・ブッククラブを企画したいと提案してくれました。さらに、筆者である私にもそのブッククラブに誘ってくれました。私としては直接読者の方々から本についての感想や意見をもらえるということで、すぐにOKの返事をしました。

 そこで垣間見えたことが、池谷さんのオンライン・ブッククラブをフル活用した読書習慣でした。池谷さんは、自分が手に入れた教育系の本の多くでオンライン・ブッククラブの発起人となり、SNS等で自由に参加者を募っていたのです。約1ヶ月間の夏休み中だけでも6冊、計13回のブッククラブを企画運営したそうです。運営もとても鮮やかなもので、zoomやGoogleドキュメントなどのオンライン・ツールを活用して、ブッククラブの進め方の枠組みやタイムスケジュールなどを即時に参加者に届けていきます。参加者は池谷さんとSNS等で繋がっている方々が中心で、私のように池谷さんのブッククラブに初めての参加の方もいれば、池谷さんのいつも通りの運営に安心して任せている常連さんの姿も見られます。池谷さんは、自分が企画するオンラインブッククラブを通して、学習コミュニティーを作り、自分自身もブッククラブを立ち上げることで良い意味でのプレッシャーを作り、本と真剣に向き合える環境を作り出していたのです。

 池谷さんは、ブッククラブに参加する前に、読書ノートを丁寧に作成していました。その事前の読みを他の方と比較したり、自分とは違った視点を書き加えたりすることで、本と自分の間に生じた新しい意味を広げていきます。また、オンライン・ブッククラブをしながら参加者の発言内容の概要も、Googleドキュメントに記録していきます。興味はあるが参加できなかった人は、その読書ノートやGoogleドキュメントにコメントを加えてブッククラブで交わされた内容を読み、参加できなくてもその場の様子を感じることができました。

 さらに、本を中心としたコミュニティーも同時に作ってしまうので、例えば、私の本で提案されている実践を共有し合うグループが、改めて募集する必要もなく、ブッククラブを行うことで生まれていきました。当然、僕もそのグループに参加させてもらうわけですが、池谷さんは筆者である私を含めた実践コミュニティー作りを、本を読むという活動の一部にしているのです。池谷さんにとって、「本を読む」という活動と「コミュニティーを作る」という活動には、境界線がなく地続きの活動なのでしょう。さらに、「読むこと」と「実践すること」の境界線すら感じません。本を読むという活動とは、なんと展望の開けた活動であることかと、ブッククラブとだいぶ付き合ってきた私自身もとても驚きました。

オンラインでブッククラブはもっと繋がりやすくなる

 新型コロナの影響で出版業界や書籍の小売り店など、本にまつわる業界もいろいろな変化を迫られていることだと感じていますが、上の2つの例にあげた通り、オンラインの良さを取り入れることで、ブッククラブに視聴者や著者を加えることが可能になったり、ブッククラブの運営を効率化できるようになったりして、本を読むこと自体の価値もより多面的になってきたように思います。オンラインで、本と読者、読者同士、著者と読者が繋がりやすくなり、また、その価値をシェアしやすくなったことで、仲間とともに読む、コミュニティーで読み合うことの手間や時間的なコストがどんどん低くなってきています。それを利用して、より自分とコミュニティーにとって意味を還元しやすい方法へとブッククラブが進化してきているように感じます。

geralt / Pixabay

ブッククラブとこれからの私

 最後に伝えたいことは、ブッククラブは生涯教育であり、ライフワークであるということです。僕は小学生の頃は読書などまったくせずにドッジボールやテレビゲームばかりをしている普通の少年でしたが、教師になり子どもの読書と向き合い『読書家の時間』という本を書くことがきっかけで、ブッククラブに出会いました。お世辞にも読むことが得意とか、読書家とか、誇らしく自称することはできず、今もなお読書苦手感を引きずっていますが、読書が自己発見の旅路であり、人と人を繋ぐ掛橋であることを確信した今、おそらく歳をとっても文字が読める限りは、このブッククラブを続けていくように思います。

 本を読んで、人と話す。シンプルな営みですが、とても奥深いものです。ブッククラブを通じて、一冊の本から老若男女、全国津々浦々の人たちと、緩やかに繋がりながら、私自身は変わり続けたいと思っています。そして、この本を読むという価値を、少しでも小学生を始め若い世代に、伝えていきたいと考えています。

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