良い探究には、良い出会いがある 『社会科WS』体験会@軽井沢から

社会科ワークショップ

8月8日(月)に『社会科ワークショップ』ワークショップを軽井沢の先生方を対象に行ってきました。

軽井沢の小学校の先生方や長野県下の小学校から、20名以上の先生方にお集まりいただき、社会科ワークショップで学ぶ子どもの姿の具体や、先生が児童になったつもりで挑戦する社会科ワークショップ体験会を行ってきました。

僕自身も、このワークショップが始まる前に、実際に自分でも挑戦してみました。その時に、指導者目線からでは感じることのできないことについて考えることができました。今日はそれについて書いてみたいと思います。

 

自分ごとではない情報は消費する

僕が今回、このワークショップの準備をする上で、一番最初に行ったことは、『社会科ワークショップ』のもう一人の著者である西田さんが準備してくれたユニットシートに基づいて、自分も体験してみることでした。

題材はある「先人の活躍」がテーマです。(狭山のWSもあるので、一応伏せておきます) 僕は、発表のモデルを示すことを引き受けていたので、頭には「気軽に書ける発表資料を作らないとなあ」という意識です。その人について、僕は全く知らないので、教科書資料をざっと読みました。全部さらっと読んだところで、立ち止まって考えたのですが、やっぱりここで子どもと同じ体験をします。

ふーん。なんとなく分かった。もう満足。

教科書資料に書いてある内容を、僕は完全に消費するだけの関わり方しかできていないことに気づきました。ああ、子どもたちと一緒だなあと。まるで、テレビ番組のCMのように、情報が右から左へ、流れていってしまっていました。引っかかるところが、何もないのです。

良い探究には、良い出会いがある

社会科ワークショップでも、自分との関わりが薄いユニットの場合、(例えば、歴史、先人の活躍、インストラクションがうまくいかなくて、子どもが自分との接点を見つけられない場合など)どうしても、「良いテーマが見つからない」や「調べたいことがない」ということを訴える子どもがいます。その子たちの気持ちがよく分かりました。それは、大人でもそうなるのですから、自然な現象であって、「興味関心が低い」とかの問題ではなく、子どもに責任があるわけではないのです。

自然な探究がスタートする場合、対象となる事象との良い出会いがあるはずです。

例えば、「美ら海水族館のマナティーのかわいい姿に一目惚れして研究対象にした」というのは、マナティー研究所の菊池夢美さん。感情が動いたことで、人生を変えるほどの出会いをしたわけです。また、僕自身も、登山が大好きになった理由が、4年生担任の時に「神奈川県で最も標高が高い場所」という話題が出て、それは丹沢山塊の蛭ヶ岳(1,673m)なのですが、僕はそこに行ったことがないことに気がついて始めたのがきっかけでした。

https://www.manateelab.jp/member-kikuchi

良い探究には、良い出会い方があるはずです。けれど、教室という限られた空間の場合、そのような直接体験を、一人ひとり全員が、どのユニットでも演出できるとは限りません。(可能であれば、見学や体験など、直接体験をインストラクションとして活用することは有効です。)ですので、可能な限り「問い」が生まれるようなインストラクションを教師が用意したり、子どもたちの体験と結びつけられるテーマを教師の方で、複数用意し、子どもたちが選べるようにするなど、工夫をすることができます。

出会い方の工夫、選び方の工夫を

今回、僕はただ与えられた教科書教材を最初から最後まで読み下すことで、対象と出会うことになりました。このような出会い方では、「問い」や「テーマ」は生まれるはずはありません。内容は面白いですし、大人ですので、自分の持っている知識や体験と結びつけて、読み下すことはできるのですが、それが終わると満足してしまいます。気持ちが充足してしまい、「もっと知りたい」という欲求が生まれていない自分に気がつきました。つまり、教材を消費して終わりになっていたのです。

これではいけないと、新評論の武市さんから教えてもらった「ツッコミ読書法」でもう一度読み直しました。「ホンマかいな」とか「裏があるやろ」とか、ツッコミを入れていくだけの読書法です。そこで、自分が何に引っ掛かっているのか、面白いと思っているのか、興味関心の的を整理できたように思います。

つまり、大人ですらこの状態ですから、知識や体験の少ない子どもたちなら尚更、「問い」や「テーマ」を持つことに対して、支援を行っていかないといけないということです。インストラクションを工夫したり、「質問作り」を行ったりして、いろいろな形で支援をしていかないと、せっかくの良い素材が揃っていても、その素材を消費し、フーンとうなづいて、満足して終わる結末になってしまいます。僕は、自分で体験をして、このことに体験的に気づくことができました。

そこで、西田さんに連絡を取って、気になったことや問いを出す時間を設定することになります。

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「知っている」と「体験した」では、大きく違う

ここまで書いてきて、では「トミーはそんなことも知らなかったのか?」と言われれば、知っていました。先輩の先生方から、社会科の導入がいかに大切であるかを教わってきました。「知っている」の状態ではありましたが、「体験した」では、自分の中での染み込み方に大きく違いがあります。

社会科ワークショップを体験することで、子どもたちの気持ちになることは、本当に大切ですね。僕はどちらかというと知識偏重型なので、体験よりももっと情報が欲しいと考えてしまうのですが、それでは、困っている子どもに寄り添うことができないかもしれません。

教師も困ったり、できていないことに直面したりすることが、子どもに共感的に寄り添える条件になるように思います。ヴァルネラビリティ(vulnerability)ですね。教師も自分の探究を子どもと一緒に進めて、オープンにしていく理由もここにあります。

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