ワークショップとDifferentiated Instructionの関係 Part.1
ワークショップは遊び場
ワークショップは、複線型というイメージよりも、学習エリアを設定するイメージです。遊び場を設定するイメージで捉えています。
目標で遊び場の範囲を規定する
ワークショップは、目標を明確に規定し、子どもたちと共有します。しかし、多様な子どもたちをできるだけ縛ることにならないような目標です。
例えば、国語で意見文を書くユニットであれば、
- クラスに訴えたいことを、双活型の意見文で、800字程度の原稿を、1本以上出版する
- お家の方に伝えたい意見を、事実と意見を書き分けながら、2本だけ文集「4−1」に出版する
こんな感じで設定します。
この目標の作り方は、クラスの実態に合わせて微調整します。もっと抽象的にして子どもたちの自由度を高める場合もあります。また逆に、「ゴミ問題について」と内容を限定することもあると思います。けれど、あまりに限定してしまうと、子どもたちの一人ひとりの体験を活かすことができません。子どもたちの強みを活かせるような目標設定をして共有します。(コントラクトという方法もあります。)
目標は遊び場の広さを表しています。目標が具体的であればあるほど、遊び場は小さくなってしまいますが、教師の目が行き届きやすくなりますし、目標が抽象的であれば、遊び場は広くなって子どもの自由度は高まりますが、教師の目が届きにくいものになります。
学習環境は、いわば遊具、遊びを面白くする道具
その目標に向かって、子どもたちは、先生が用意したワークシートやたくさんの本、新聞やHPの切り抜き、などの学習環境を生かして、目標に向かって動き出します。だから、必ず使わなければならないものではありません。必要に応じて、必要な子が使えばいいだけです。もしくは、先生がしっかり子どもを理解して、適切な遊具を紹介してあげる(カンファランス)ことも必要です。
ワークショップは、目標や学習環境によって、意見分を書くという楽しい遊び場を作り上げ、そこで、子どもたちが目一杯遊べるようにするというわけです。
学習に「切実感」「必要感」は必要か?
学校現場では、よく「切実感」「必要感」といった言葉を使いますが、僕はそれほど必要ないと思っています。何か、「やらなければならなこと」というニュアンスもあり、圧迫感を感じてしまうからです。学習とは「あそび」です。遊ぶように学ぶ。教師は、遊ぶように学べる環境を作り上げることが仕事であり、専門性です。決して、やらなければならない状況に子どもを追い込むことをするべきではないと思います。ブラック戦士を育てることになってしまいます。
Differentiated Instructionを内包したワークショップという学び方
遊び場では、それぞれ自分のペースで遊べるために、学習の速度は自分に合わせて決めることができます。習熟の早い子は、沢山の本を読んだり、たくさんの作品を書き上げたりします。また、ゆっくりやりたい子は、自分のペースで納得いくまで粘り強くできます。
また、子どもたちは、自分の強みを生かして学習を選択することができます。遊び場のどこで遊ぶのか、どうやって遊ぶのかは、目標に反していない限り子ども一人ひとりに任されています。この点に、学習にオウナーシップが生まれる工夫があります。
Differentiated Instructionは、一人ひとり多様な子どもたちに対応しようとした学習ですが、いくら複線化して選択肢を増やしたとしても完全に子どもたちにフィットする学習はできあがりません。そこで、ワークショップのように2次元化して、プレイフィールドである遊び場として学習を捉え、子どもたちに学習の責任をもたせるようにする工夫がされています。
誤解のないように書き加えると、Differentiated Instructionはかならずしも、複線化することばかりではありません。ワークショップの学び方や、プロジェクト学習、選択型の学習など、いろいろな方法の根幹にある考え方がDifferentiated Instructionです。Differentiated Instructionは、ワークショップの学び方を支える根幹的な視点を与えてくれる基盤となっています。
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