今日はリーディングワークショップの会がありました
今日一番大切なことは
自分のクラスの子どもたち全員に宝物を探し得たような学習へと導くことができたかということです
1年間で自分は一生懸命やった
本当に学習した
一生役に立つものをこのクラスで得た
そういう感覚を
読むことが得意な子だけでなく
読むことが苦手な子にももたせることができたかということです
読むことが苦手な子はリーディングワークショップで宝物を得なくていいという感じではなく
読むことが苦手な子でも
この本を1年間かけて読めたぞ
この本だけは苦手な自分でも本当に努力したという感覚をもたせてあげられたかということ
先生が本を与えているだけでは自分を変えることのできる本と出会うことはできないし
先生が何もしないで子どもと本が出会うのを待つだけでも本と出会うことはできない
その狭間
自分で見つける
自分挑戦することをしっかり支えてあげるようなスタンスで
どれだけ今年の自分はいられたのかなあと感じました
評論社の社長さんはhowto的な内容を嫌うというのも
自分にとっては刺激がありました
howto本はたしかに読みやすい
確かにすぐできる
確かに自分に身近に感じる
でも
ずっと手元に置いておきたいような本になるか
この本で自分の教育観が変わったんだよなあと言えるような本になるのか
何回でも読み直してみたいと思えるような本になるのか
自分は少し逃げていたように思います
完成像を早く見たいために
章立てを格子模様のごとく細分化して
その升目を埋めるようにして執筆していけば
完成像は徐々に形作られて
いつまでに完成するかがすぐに分かる
けれど
それでは最初から完成予想よりもよいものはできない
完成予想以下のものはできる
自分が中心となる章立てだけ決めて
お互いの重なりを恐れずに書いていけば
重複しているところが丁寧な説明になり
一つの文脈として物語として描ける
他の人の領域だろうと遠慮せずに
自分が熱を持って書けるところは遠慮せずに書く
それは先が見えなくて
完成予想図も全く見えなくて
集中して一点しか見えていないようだけれど
いつのまにかすごいものができているかもしれない
そういうことにチャレンジしているんだと思う
書き上げることを目的にしてはいけないんだ
自分の実践をみつめ
足りないところを補完しながら
得意な領域を引き延ばしながら
いびつな形になりながらも
生のままの実践を形にしていく感覚
理路整然としているものは一見美しいが
簡単に認識できるものでしかない
長い間見ていて深く味のあるものは
一見何がなんだか分からないものなのだと思う
書きやすいものを書くのではなく
生の感触が伝わるように書く
そういうことなのか
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