読書の教室はまだまだやれることがある

リーディング・ワークショップ

わたしは、読書の教室を作ることを目指しています。子どもたちは、いろいろな好きな事があるけれど、電車好きにも、野球好きにも、ゲーム好きにだって、読書は役に立つだろうと思います。なぜなら、それらについて詳しく書かれている本が、世の中にはたくさんあるからです。つまり、好きな事をもっと好きになれる、自分が楽しいと思えることを、もっと楽しくできる。自分が目指したいことに、もっと近づくことができる。それが、読書だからです。

 ところが、日々の行事やいろいろな学習などで、子どもたちといる大切な時間が少なくなってしまい、結果的に、大切だと思っている読書の時間が、少なくなってしまっていると感じています。秋の読書週間も近いですし、気持ちを新たにして、気分一新楽しい取り組みを企画していきたいところです。
 読書が大切だと、心の底から考えているのに、どうして、それにかける時間がなくなってしまうのでしょうか。そこが問題です。教師は、少なからず、これは大切にしたいと思っていることがあるはず。けれど、気がついたら時間がないというのは、誰もが苦しむ問題です。
 今日、ある研修で、「学校図書館の本をセットで買うのは止めましょう。一冊一冊見て、良いと思ったものをみんなで選んで決めましょう。」という言葉がありました。自分にはずしりと来ました。
 よく考えずに、時間もないので、絵本のセットなどを自分も買ってしまうわけです。どこか誰かが、良いと思って選んでくれたパックを、子どもたちに買い与える。それを、子どもたちに手渡したとしても、おそらく、わたしには気持ちが入っていないので、本当にこの本はたのしいという熱意は伝わるはずがありません。それでは、本を博物館のケースに入れておくのとそれほど変わらないでしょう。
 ああ、これも自分が読書に時間を割けない理由の一つだと考えました。
 よく考えず、時間もないので、どこかの誰かが決めた教科書単元のセットをだらだらとやってしまったり、よく考えず、時間もないので、最初からある計画通りの行事計画をなぞるようにやってしまう。どちらも、自分が実現したい学校や教室に、どうやって貢献していくのかも考えもせず、惰性で行ってしまう。本当に、本好きの子どもが育つ教室や学校を育てるのならば、どんなリアルなイメージを思い描き、それにむかってどんなプロセスを踏んだら良いのかを、考えるべきです。自分のイメージを実現できないのは、そんな甘えがあるからだと思います。
 時間がない、忙しいは、やらないことを決断できない甘えかもしれませんね。本当に大切なことは何なのか、時間がかかってもそこを大切にしなければ、プロではないなあと思います。

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